大和国家の大臣(おおおみ)蘇我高麗の子,馬子の父。名は伊奈米,伊那米とも記される。6世紀中葉の大和国家の動揺期に,蘇我氏の基盤に含まれる大和盆地南西部で養育された勾(まがり)皇子(安閑天皇),高田皇子(宣化天皇)を擁立し,前者を勾金橋宮に,後者を檜隈廬入野宮(ひのくまいおりのみや)に入らせた。宣化朝とそれにつづく欽明朝の大臣となり,宣化天皇と初めて姻戚関係を結んだらしく,さらに娘の堅塩媛(きたしひめ)・小姉君(おあねのきみ)を欽明天皇の大后・后に,石寸名(いしきな)を用明天皇の后とした。一方,排仏派の物部尾輿(おこし),中臣勝海らに抗して,仏像を自分の小治田家に安置し向原(むくはら)家は寺にして仏教受容をすすめた。また瀬戸内航路の確保につとめ,とくに吉備5郡に白猪屯倉(しらいのみやけ)をおいて田部の名籍を造らせ,児島屯倉には田令を任じた。こうして稲目は,以後1世紀にわたる蘇我氏繁栄の基礎を築いた。
執筆者:門脇 禎二
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(仁藤敦史)
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大和(やまと)国家の大臣。伊奈米、伊那米とも記される。蘇我臣高麗(おみこま)の子。馬子の父。宣化(せんか)・欽明(きんめい)朝の大臣で、彼のあと約1世紀間にわたる蘇我氏繁栄の基礎を築いた。6世紀中葉の大和国家の動揺期に、大和盆地南西部で養育された勾(まがり)皇子(安閑(あんかん)天皇)、高田皇子(宣化天皇)を擁立した。宣化天皇と初めて姻戚(いんせき)関係を結んだらしく、さらに娘の堅塩媛(きたしひめ)・小姉君(おあねのきみ)を欽明天皇の大后、后に、石寸名(いしきな)を用明(ようめい)天皇の后とした。政策的には、排仏派の物部尾輿(もののべのおこし)、中臣勝海(なかとみのかつみ)らに抗して、仏像を小治田(おはりだ)の家に安置し、向原(むくはら)の家を寺とした。また、瀬戸内航路の確保に努め、その一環として吉備(きび)五郡に白猪屯倉(しらいみやけ)を置き児島屯倉には田令を任じた。白猪屯倉では田部の名籍をつくらせたというが、屯倉経営の新方策として注目される。
[門脇禎二]
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?~570.3.1
6世紀半ばの大臣(おおおみ)。馬子(うまこ)の父。「公卿補任」は高麗の子とする。宣化元年,大臣に任じられたとされ(実際は欽明朝か),実在の確実な最初の大臣。女の堅塩媛(きたしひめ)と小姉君(おあねぎみ)が欽明天皇の妃となり,用明・推古・崇峻の3天皇をうんだ。欽明朝には百済(くだら)から仏教が公伝したが,稲目は物部尾輿(おこし)・中臣鎌子(かまこ)らと対立して崇仏を推進した。欽明31年,没した。
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…所在の山名を付けた山号は,かつて寺院が山岳にあったなごりとされる。 日本最初の寺院は,蘇我稲目(そがのいなめ)(?‐570)が仏教伝来まもなく,仏像を自邸に安置して向原(むくはら)寺と称したのに始まるという。そののち7世紀,有力氏族がしだいに寺院を建立,624年(推古32)寺院数46を数えたといい,四天王寺式,法隆寺式などと呼ばれる七堂伽藍の堂舎(伽藍配置)を整えた古代寺院が営まれだした。…
※「蘇我稲目」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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