家数人馬改帳(読み)いえかずじんばあらためちょう

精選版 日本国語大辞典 「家数人馬改帳」の意味・読み・例文・類語

いえかずじんば‐あらためちょう いへかずあらためチャウ【家数人馬改帳】

〘名〙 江戸時代、村ごとに家数、人馬数などを調査し作成した帳簿領主領内労働力を明らかにするために作ったもの。慶長一六年(一六一一)の小倉藩人畜改帳寛永一〇年(一六三三)の肥後藩人畜改帳などが残存。→人別帳(にんべつちょう)

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改訂新版 世界大百科事典 「家数人馬改帳」の意味・わかりやすい解説

家数人馬改帳 (いえかずじんばあらためちょう)

戦国・織豊期から近世初頭にかけて行われた農村労働力の実態調査の記録。家数改帳,家付帳,家付人付帳,棟別帳,人畜改帳などの名がある。検地帳が土地生産力を記録するのに対して,家数人馬改帳は村内の百姓竈(かまど)ごとに受持高,家族の男女別年齢・軒数・牛馬数・屋敷地を調査し,村落構成員を把握するばかりでなく,村ごとに男女別・年齢別の集計を出すことによって夫役負担能力のあるものを書き上げさせた。すなわち役負担可能な家(役家)と役夫の台帳である。古代計帳系譜を引く帳簿で,鎌倉・室町期には実施されなかったが,戦国期に入り,戦国大名は領国の総力をあげて戦う必要に迫られ,農民を単なる年貢負担者としてだけでなく,陣夫としてあるいは戦闘員として編成することが要請された。1582年(天正10)後北条氏は領内一円に人改めの令を出しているが,はたして87年村々から役に立つ者どもを動員して戦に備えた。これが全国的に実施されたのが91年秀吉の人掃(ひとばらい)令で,朝鮮出兵に備えて全国66ヵ国の人畜調査を命じ,村ごとに家数人数男女老若を書き上げた家数人数帳を作成させた。家数人馬改めが検地と同時に行われることも多く,天正期から慶長期にかけて,近江国天正検地帳,伊勢国・紀伊国文禄・慶長検地帳,肥後国慶長13年検地帳など検地帳の末尾に見られる。また単独に行われた家数人馬改帳として,豊後国,肥後国での細川氏による人畜改帳(《小倉藩人畜改帳》《肥後藩人畜改帳》(以上《大日本近世史料》所収),《芦北郡人畜改帳》)が知られる。細川忠興は1601年(慶長6)豊後に入国すると直ちに速見郡由布院で人畜改めを行ったが,その後09年,11年豊後の人畜改めを行い,忠利は襲封の22年(元和8)領国全域の人畜改めを行ったが,32年(寛永9)12月肥後に入国すると翌年直ちに全領の人畜改帳を作成させ,家数人馬数の把握を行った。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「家数人馬改帳」の意味・わかりやすい解説

家数人馬改帳
いえかずじんばあらためちょう

江戸時代,幕府,諸藩が領内の家数,人馬数などを村ごとに調査し作成した帳簿。一般に江戸時代初期の領主は,夫役 (ぶやく) 徴収の必要から農民を夫役負担能力により,本役,半役,四半役あるいは馬役,人役のように分けて把握したが,さらに詳細に領内の総労働力を知るため,家並 (やなみ) 改め,人畜 (にんちく) 改めなどの調査を行なった。その帳簿が家人馬改帳,人畜改帳と呼ばれるもので,宗門改帳,五人組帳 (→五人組帳前書 ) ,村明細帳のできる以前の家族構成,居住形態を知るうえで貴重な史料である。現存するものでは細川氏の慶長 16 (1611) 年の「小倉藩人畜改帳」,寛永 10 (33) 年の「肥後藩人畜改帳」が有名 (『大日本近世史料』所収) 。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「家数人馬改帳」の意味・わかりやすい解説

家数人馬改帳
いえかずじんばあらためちょう

人畜改帳

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