デジタル大辞泉
「富田渓仙」の意味・読み・例文・類語
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
Sponserd by 
とみた‐けいせん【富田渓仙】
- 日本画家。福岡県出身。本名鎮五郎。狩野派・四条派を学んだ後、仙崖禅師に傾倒。また富岡鉄斎に私淑して南画を学ぶ。初め文展に出品、のち院展に転じ同人となり、多くの作品を発表。代表作「御室の桜」「伝書鳩」、画論に「渓仙八十八話」。明治一二~昭和一一年(一八七九‐一九三六)
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
Sponserd by 
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
Sponserd by 
富田渓仙
とみたけいせん
[生]1879.12.9. 博多
[没]1936.7.6. 京都
日本画家。本名は鎮五郎 (しげごろう) 。号は渓仙,久鼓庵。初め狩野派の手ほどきを受け,1896年京都へ出て四条派を学んだ。のち仙崖,与謝蕪村に私淑,富岡鉄斎に傾倒し,また仏画の研究を重ねた。横山大観のすすめで,1915年再興日本美術院の同人となり,南画風の異色ある大作を発表し,自由闊達な独自の画風をつくり上げた。 22年詩人の P.クローデルと親交を結び『皇城十二景』 (1922) ,『四風帖』 (26) などを合作。主要作品『宇治川の巻』 (15,京都市美術館) ,『紙漉き』 (28,東京国立近代美術館) ,『伝書鳩』 (34,京都市立美術館) ,『万葉春秋』 (36,京都国立近代美術館) ,絶筆『嵐峽雨罷』 (36) 。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
Sponserd by 
富田 渓仙 (とみた けいせん)
生年月日:1879年12月9日
大正時代;昭和時代の日本画家
1936年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
Sponserd by 
世界大百科事典(旧版)内の富田渓仙の言及
【明治・大正時代美術】より
…再興の宣言に,〈自由の天地〉で〈吾ら自己の芸術〉をめざすとうたい,大正デモクラシーやヒューマニズムの流れの中で,少数精鋭の団結により,個性尊重の精神をみなぎらせる精進を重ねた。再興日本美術院は小林古径,前田青邨,富田渓仙(1879‐1936),中村岳陵,小川芋銭(うせん)(1868‐1938),北野恒富(1880‐1947),速水御舟,川端竜子,近藤浩一路(1884‐1962),郷倉千靱(せんじん)(1892‐1975),堅山南風(かたやまなんぷう)(1884‐1980)ら,数多くの個性的な日本画家を生み出し,大正から昭和にかけての日本画界を支える中核となった。なお院展洋画部からは,二科展に出品した関根正二とともに,日本の青春ともいうべき大正期の象徴的存在である[村山槐多]が出ている。…
※「富田渓仙」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
Sponserd by 