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寒川鼠骨 さむかわ そこつ

美術人名辞典の解説

寒川鼠骨

俳人。愛媛県生。名は陽光。第三高等学校中退後、新聞『日本』、雑誌「日本及日本人」の記者を長く務める。正岡子規門の古参写生文に一格を出し、多くの編著がある。晩年相国寺に参禅し、また子規庵の保存に努めた。昭和29年(1954)歿、80才。

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百科事典マイペディアの解説

寒川鼠骨【さむかわそこつ】

俳人。本名陽光(あきみつ)。愛媛県松山生れ。三高中退。新聞《日本》の記者となり,正岡子規に俳句を学ぶ。写生文で一家を成した。子規没後,子規庵を守り遺業の顕彰に尽くした。
→関連項目ホトトギス

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

寒川鼠骨 さむかわ-そこつ

1874-1954 明治-昭和時代の俳人。
明治7年10月31日生まれ。大阪朝日新聞社をへて,日本新聞社にはいり,正岡子規(まさおか-しき)に師事。写生文にもすぐれ「新囚人」「寒川鼠骨集」などをあらわす。「子規全集」などの刊行につくし,昭和3年以後子規庵の保存につとめた。昭和29年8月18日死去。79歳。愛媛県出身。第三高等学校中退。本名は陽光(あきみつ)。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

寒川鼠骨
さむかわそこつ

[生]1875.11.3. 松山
[没]1954.8.18. 東京
俳人。本名,陽光 (あきみつ) 。第三高等学校を中退して新聞記者となり,正岡子規の門に入って写生文『新囚人』 (1901) で認められた。日本派の写生の方法を忠実に描写,子規の死後は子規庵を維持管理しつつ写生俳句の継承に努め,句誌『阿迦雲』を主宰して子規の遺風を守った。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

寒川鼠骨
さむかわそこつ
(1874―1954)

俳人。松山に生まれる。本名陽光(あきみつ)。京都の旧制三高在学中、京阪満月会に加わって句作を始めたが、中退して、『京都新聞』『大阪朝日新聞』を経て新聞『日本』に入り、正岡子規(しき)に就いた。子規没後句作を休止、写生文、紀行、随筆に専心し、晩年は根岸(ねぎし)子規庵(しきあん)保存に余生を賭(か)けた。著書に『寒川鼠骨集』(1930)、『正岡子規の世界』(1956)などがある。[村山古郷]
 稲妻や月も出て居て雲奇なり
『『明治文学全集57 明治俳人集』(1975・筑摩書房)』

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世界大百科事典内の寒川鼠骨の言及

【写生文】より

…表現にははじめ文語が用いられたが,しだいに口語体となり,時間的な流れを寸断した一つの場面を客観的に写生し,それをつづり合わせるという手法で時間の再現を試みた。子規没後,虚子,寒川鼠骨(さむかわそこつ)(1875‐1954),坂本四方太(しほうだ)(1873‐1917)らが力を注ぎ,写生文の名称も一般化した。小説での応用は,夏目漱石の《吾輩は猫である》(1905),《草枕》(1906),虚子の《風流懺法》(1907),伊藤左千夫の《野菊の墓》(1906),長塚節の《土》(1910)などにも見られる。…

※「寒川鼠骨」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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