日本歴史地名大系 「小童保」の解説
小童保
ひちほ
ほぼ近世の世羅郡小童村の村域を領域とする京都祇園社(現京都市東山区の八坂神社)の神供料所。地名は現在「しち」または「ひち」と読まれるが、乾元二年(一三〇三)五月一九日付の紀氏女譲状(建内文書)に「ひんこのこわらハのほう」とあり、明徳三年(一三九二)九月一二日付の備後守護方一宮備後守書状(同文書)にも「ひんこの小わらハの事」とある。ともに関係者の文書であり、断定はできないが、「こわらわ」ともよんだのかもしれない。
小童保の成立について文暦二年(一二三五)正月一八日付の感神院政所下文(祇園社記)に「当保者、白河院御代、去承徳二年、被准賀茂社佳例、被備進日別十三前御供用途料、被寄附四箇保其一也」とみえ、承徳二年(一〇九八)に白河院が祇園社に寄せた四保の一とされている。しかし同社の長日用途料所である四保のうち、丹波国
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報