小谷の方(読み)オダニノカタ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「小谷の方」の意味・わかりやすい解説

小谷の方
おたにのかた

[生]天文16 (1547)?. 尾張
[没]天正11 (1583).4.24. 越前,北庄
戦国時代の武将織田信秀の娘,織田信長の妹。名は市(いち)で,お市の方とも呼ばれる。永禄10(1567)年頃,近江小谷城主浅井長政と結婚した。天正1(1573)年信長が小谷城に浅井氏を滅ぼしたが,落城の際に茶々(ちゃちゃ),初(はつ),江(ごう)の 3人の娘を連れ城を脱出。同 10年に越前北庄の柴田勝家再婚。同 11年勝家が豊臣秀吉に攻められると,娘 3人を脱出させ,北庄城で夫とともに自害した。逃れた長女茶々はのちの秀吉の側室淀君,二女初は京極高次の室常高院,三女江は徳川秀忠の室崇源院である。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「小谷の方」の意味・わかりやすい解説

小谷の方
おだにのかた
(1547―1583)

戦国時代の女性。名はお市(いち)。織田信秀(のぶひで)の娘で信長の妹。1567年(永禄10)末か翌年初めに北近江(おうみ)の戦国大名浅井長政(ながまさ)に嫁いだ。長政の居城小谷にいたため、この名でよばれた。輿(こし)入れの年次については64年説、61年説もある。いずれにせよ、信長が上洛(じょうらく)のための布石として長政と同盟を結ぶための政略結婚であった。73年(天正1)の小谷落城のときには3人の娘(茶々(ちゃちゃ)、初(はつ)、小督(おごう))とともに城を出て、のち82年、甥(おい)信孝の計らいで柴田勝家(しばたかついえ)と再婚させられ、越前(えちぜん)北庄(きたのしょう)に赴いている。翌83年、勝家と羽柴豊臣(とよとみ))秀吉が賤ヶ岳(しずがたけ)に戦い、勝家が敗れたため、北庄城に籠城(ろうじょう)し、秀吉の軍勢に攻められ、夫勝家とともに自刃した。

[小和田哲男]

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「小谷の方」の解説

小谷の方
おだにのかた

1547?~83.4.24

お市の方とも。織田信長の妹(一説には従姉妹)。名は市。1567年(永禄10)末頃に近江国小谷城主浅井長政と結婚。信長の朝倉攻めの際,浅井氏が離反したため,信長に小豆袋の両端を縛って送り,危機を知らせたという。73年(天正元)信長が浅井氏を滅ぼした際,城を出て兄信包(のぶかね)に預けられる。82年の清須(きよす)会議後,越前国北庄(きたのしょう)城主柴田勝家と再婚。83年,勝家が豊臣秀吉に攻められ,女の茶々(淀殿)・初(常高院)・お江(崇源院(すうげんいん))を城から出して,勝家とともに自害。

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