(読み)あま

精選版 日本国語大辞典 「尼」の意味・読み・例文・類語

あま【尼】

〘名〙
① (パーリ語 ammā 「母・女性」の意からか) 出家して仏門に入った女性。具足戒を受け、中古ごろは頭髪を肩のあたりでそぎ、のちには剃るようになった。敏達天皇一三年に善信尼らが出家したのが日本での始まりとされる。尼僧。尼法師比丘尼
書紀(720)敏達一三年九月(前田本訓)「司馬達等の女(むすめ)嶋を度(いへで)せ令む。善信尼(アマ)と曰(い)ふ」
② ①の自称。
梁塵秘抄(1179頃)二「あまはかくこそさぶらへど、大安寺の一万法師もをぢぞかし」
③ 平安時代以後、髪を肩のあたりで切りそろえた①の髪。また、そのような童女の髪。あまそぎ。
※とりかへばや(12C後)中「うれしきままに、かしらあはせなどして、髪もかき垂れなどしてみれば、あまのほどにふさふさとかかりたり」
④ 肩のあたりで髪を切りそろえた童女。おかっぱあたまの少女。親しみの気持をこめていうことがある。室町時代以降に使われた。
咄本・軽口露がはなし(1691)三「内にあまを寝させてきたが、もし声のたかきに目がさめれば迷惑」
⑤ (「阿魔」「阿摩」とも) 特に関東で、近世以降、少女または女性をいやしめて呼ぶ語。あまっこ。あまっちょ。
※浜荻(庄内)(1767)「庄内にて年のゆかぬ下女をあまといふ。江戸にてはののしる辞とす」
⑥ ほおべに。
※俳諧・崑山集(1651)六夏上「色木の実あまのことぞや梅法師〈正陳〉」
⑦ めすの犬。牝犬。
※読本・夢想兵衛胡蝶物語(1810)前「牝狗(アマ)を追ふ白黒は、乱走して水をかけらるるを厭(いと)はず」
※えすぱにや・ぽるつがる記(1929)〈木下杢太郎〉ハビエルノ城「彼の呼びにやった尼さんが二人来た」
狂言面の一つ。尼を表わす。「泣き尼」に用いる。
※わらんべ草(1660)四「一尼(アマ) 一比丘尼比丘定にきる」

に【尼】

[1] 〘名〙 女性で出家して戒を受けた者。尼僧。あま。
[2] 〘接尾〙 出家した女性の名の下に添える語。

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デジタル大辞泉 「尼」の意味・読み・例文・類語

あま【尼】

《発音は梵ambā(母)からといい、表記は「比丘尼びくに」の「尼」を用いたもの》
仏門に入った女性。比丘尼。
キリスト教で、修道院に入った女性。修道女。
(「阿魔」とも書く)女性をののしっていう語。
平安時代以後、肩の辺りで切りそろえた1の髪形。また、その髪形をした少女。
「―にぎたるちごの目に髪のおほひたるを」〈能因本枕・一五五〉
[類語](1尼僧尼法師比丘尼禅尼/(2修道女シスター巫女/(3女性女子婦女婦女子おなごおみなたおやめ女史婦人女人じょじん・にょにんウーマン

に【尼】[漢字項目]

常用漢字] [音](呉) ジ(ヂ)(漢) [訓]あま
〈ニ〉
あま。「尼僧禅尼僧尼老尼
外国語の音訳字。「尼港摩尼牟尼むに
[補説]1も梵語の音訳字で「比丘尼びくに」の略。
〈ジ〉孔子のこと。「尼父じほ

に【尼】

[名]《「比丘尼」の略》出家して戒を受けた女性。あま。
[接尾]出家した女性の名の下に添えて用いる。「蓮月

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改訂新版 世界大百科事典 「尼」の意味・わかりやすい解説

尼 (あま)

出家して仏門に入った女性のこと。比丘尼(サンスクリットbhikṣuṇīの音写),尼法師ともいう。ふつうは戒律を守り,剃髪して,法衣を着るが,有髪のまま尼になることもある。在俗のまま仏道に入った女性を尼女房といい,剃髪の女性入道者を尼入道といった。また老後に隠居したり,夫と死別して尼になるものもいた。尼を敬称して尼御前という。尼僧の住する寺を尼寺といい,門跡寺院の尼僧住持を尼門跡という。男僧と尼僧とによって奉祀される寺院があり,長野市善光寺は大勧進と大本願とからなり,前者は男僧,後者は尼僧で旧華族から選ばれ,尼公と尊敬される。

 日本の尼のはじまりは,584年に蘇我馬子が出家させた司馬達等の娘善信尼とその弟子禅蔵尼・恵善尼の3人であった。彼女らは百済にわたって戒法を学び,590年に帰国して,桜井寺に住した。同寺は日本最初の尼寺である。3尼は,神に奉仕する巫女と同じく,おそらく聖処女であったろう。慎みの生活を保って,仏に斎(いつ)くために,戒を受けたのである。仏教伝来の当初,尼は神まつりする巫女と同じであった。のち尼の数は増加し,8世紀のはじめ,僧尼令に細かな取締規定が設けられ,玄蕃寮(げんばりよう)が僧尼の名籍をつかさどった。741年(天平13)聖武天皇の発願で国分寺が諸国の国府所在地に設けられたが,僧寺と尼寺があり,国分尼寺を法華滅罪之寺といい,10尼が置かれた。平安時代以降,貴族が経済的に衰退し,その子女が仏寺に入る例が多かった。鎌倉仏教は,従来の女性軽視の立場を反省し,女性の救済を説いたが,法然は,当時,愚かものの代名詞の観すらあった尼入道に深い理解を示した。鎌倉・室町時代には,禅宗の五山制度を模倣して,京都・鎌倉に尼五山が定められた。民間の巫女は修験の山伏と夫婦になって祈禱や託宣を行ったが,剃髪の風習が巫女にも及び,修験巫女は〈比丘尼〉と呼ばれた。このような比丘尼は各地を遊行したが,これを背景に〈八百(はつぴやく)比丘尼〉の伝説が生まれた。熊野信仰を各地に広めた〈熊野比丘尼〉は六道図や熊野曼荼羅などを絵解きし,江戸時代に入ると宴席にはべる〈歌比丘尼〉となり,売春婦に転落するものもいた。女性が髪を肩のあたりで切ったのを〈尼削(そぎ)〉というが,そのような髪形の童女をさす場合がある。また近世以降少女または女性をいやしめていうときにも尼という語を用いた。キリスト教の修道女も尼と称することがある。
尼寺
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日本歴史地名大系 「尼」の解説


あまがつじ

[現在地名]奈良市三条大路五丁目・四条大路五丁目

歌姫越京うたひめごえきよう街道(西一坊大路)と大坂街道(三条大路)の交差地で茶屋があった。尼辻の名は尼寺の興福こんぶ(現在は法蓮町に所在)が近くにあったからともいわれるが、「招提寺千歳伝記」には「甘辻」と記し、地味がよかったので「地味甘し」と称されたことによるという説話を載せる。明治時代には甘壌かんじよう小学校があった。

辻の西南にある地蔵堂には鎌倉中期の地蔵石仏を安置。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「尼」の意味・わかりやすい解説


あま

出家して仏門に入った女性のこと。サンスクリット語のビクシュニーbhikuīの音写語である「比丘尼(びくに)」の略で、「あま」という読み方は、パーリ語のアムマーammā(サンスクリット語ではアムバーambā。母の意)からきたといわれる。尼法師、尼御前(あまごぜ)、尼前(あまぜ)などともいわれ、在家のままで剃髪(ていはつ)した女性を尼入道(あまにゅうどう)、尼女房(あまにょうぼう)などといった。尼の起源は古く、原始仏教の時代からあり、最初の尼となったのは、仏陀(ぶっだ)の養母であるマハーパジャーパティーMahāpajāpatīであったといわれる。男子出家者の比丘よりも戒律は厳しく、比丘の二百五十戒に対して、比丘尼の三百四十八戒ともいわれ、教団におけるその地位も概して比丘より低かった。『日本書紀』によると、日本での最初の尼は、飛鳥(あすか)時代の善信尼(ぜんしんに)ら3人で、彼女らの住んだ桜井寺は最初の尼寺である。

[松本史朗]

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百科事典マイペディア 「尼」の意味・わかりやすい解説

尼【あま】

比丘(びく)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「尼」の意味・わかりやすい解説


あま

比丘尼」のページをご覧ください。

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世界大百科事典(旧版)内のの言及

【僧】より

…仏教の出家修行者に対する総称。とくに男性を僧とよぶのに対し,女性は(あま)とよび,あわせて僧尼ともいう。〈僧〉とはサンスクリットのサンガsaṃghaに対する音写語で,僧伽(そうぎや)とも書き,衆,和合衆と訳す。…

【比丘尼】より

…出家して戒を受けた女性,仏教教団の正規の女性出家者。尼僧のこと,単に尼(あま)ともいう。サンスクリットbhikṣuṇī,パーリ語bhikkhunīの音写。…

※「尼」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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