縁切寺(読み)えんきりでら

精選版 日本国語大辞典 「縁切寺」の意味・読み・例文・類語

えんきり‐でら【縁切寺】

〘名〙 江戸時代、離婚を希望した人妻が、逃げ込んで足掛け三年在寺すれば、離婚が成立するという特権を持っていた尼寺。神奈川県鎌倉市の東慶寺群馬県太田市の満徳寺有名。駆け込み寺。〔旧事諮問録(1891‐92頃)〕

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改訂新版 世界大百科事典 「縁切寺」の意味・わかりやすい解説

縁切寺 (えんきりでら)

江戸時代において妻が駆け込んで一定期間在寺すれば離婚の効果を生じた尼寺で,〈駆込寺〉とも〈駆入寺〉ともいう。当時庶民の間では,離婚は仲人・親類・五人組等の介入・調整による内済(示談)離縁が通例であったと思われるが,形式上妻は夫から離縁状を受理することが必要であった。離縁状を交付しない夫に対して,妻(側)からの離婚請求権は法律上きわめて限定されていたが,その一つに縁切寺への駆込みがあった。縁切寺はアジールの残存と考えられ,江戸時代初期尼寺には一般に縁切寺的機能があったと思われるが,中期以降になると鎌倉松ヶ岡東慶寺と上州(群馬県)勢多郡徳川郷の満徳寺の2ヵ寺のみに限られた。両寺が江戸時代を通じて縁切寺たりえたのは,徳川家康の孫娘千姫にかかわる由緒による。東慶寺は千姫が助命をかなえた秀頼の息女天秀尼の入寺に当たって家康が特別許可を与え,満徳寺は千姫自身が入寺し,離婚後再婚した例にならって,両寺とも開山以来の縁切寺法の特権が再確認されたゆえと伝えられている。

 東慶寺は〈松ヶ岡〉の名によって知られ,これに関する川柳も多く,〈犬をすて申(さる)のかっ込む松ヶ岡〉などとうたわれている。縁切寺における離婚には,足掛け3年(東慶寺24ヵ月,満徳寺25ヵ月)の在寺と引換えに寺法を発動して夫から離縁状を強制的に差し出させる寺法離縁と,寺の仲介・説得により当事者双方が示談で離縁を成立させ,妻は入寺せず直ちに親元へ引き取らせる内済離縁とがある。東慶寺の場合,内済離縁のときは普通の離縁状,寺法離縁のときは寺あての特殊な寺法離縁状が差し出される。満徳寺の場合,内済・寺法いずれのときも〈深厚之宿縁浅薄之事私有らず,後日他え嫁すと雖も一言違乱之なし,依て件の如し〉という満徳寺独特な離縁状であった。古くは寺法離縁だけであったが,のちに内済離縁があらわれその数を増し,幕末にはほとんど内済離縁であった。縁切寺のことが周辺に熟知されてくるにしたがって,妻に寺へ駆け込まれたら夫は離縁を承服せざるをえないと強く認識されたからであり,なかには縁切寺への駆込みをほのめかすだけで実際には駆け込まず離縁を成立させた例さえあった。夫がどうしても離縁状を出さないときは,寺では寺社奉行所に訴え,奉行所はその威光により夫を仮牢に入れても離縁状を出させた(お声掛り離縁)。離縁を願って駆け込んだ妻のなかには,寺の説得によって帰縁(復縁)することもあった。また入寺費用が妻の親負担だったので安直には駆け込めず,たとえ駆け込んでも貧乏な実家に思いをはせて止むをえず帰縁した女もいたと思われる。両寺は明治維新後も1870年(明治3)までは縁切寺法を存続したが,徳川家の庇護のみを頼ってきた満徳寺は72年に廃寺し,なお縁切寺の制度維持を願い出た東慶寺も71年7月政府によって願い出が却下され,ここに縁切寺は国家権力によって完全に否定・禁止されたのである。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「縁切寺」の意味・わかりやすい解説

縁切寺
えんきりでら

江戸時代に妻が駆け込んで、一定期間在寺すれば離婚の効果が生じた寺。駆込寺(かけこみでら)ともいう。当時、庶民の間では、離婚は原則として夫が妻に離縁状を渡すことによって行われ、妻から夫を離婚する道は開かれていなかった。この哀れな境遇の妻に与えられた離婚の方法が縁切寺への駆け込みであった。この制度は、戦国時代におけるアジール(犯罪人などが過酷な侵害から逃れるために、逃げ込んで保護を受ける場所)の制の残存と考えられる。おそらく、江戸時代前半期、尼寺(あまでら)には縁切寺としての機能があったものと思われるが、後半期になると、幕府領では縁切寺としては、徳川氏に特別の縁故の深い相模(さがみ)国(神奈川県)鎌倉の東慶寺(とうけいじ)と、上野(こうずけ)国(群馬県)新田郡(にったごおり)の満徳寺(まんとくじ)だけに限られることになった。

 ことに東慶寺は、開山(1285)以来この寺法が勅許されたといわれ、「松ヶ岡御所」と称されて格式高く、豊臣秀頼(とよとみひでより)の息女天秀尼(てんしゅうに)の入寺に際して、徳川家康から改めてこの特権を許された。江戸末期まで多くの不幸な女を救い、川柳(せんりゅう)にも「縁なき衆生(しゅじょう)を済度(さいど)する松ヶ岡」などと歌われたほど有名であった。駆け込んだ女は関東地方の者が大部分であったが、そのなかでも武蔵(むさし)国、ことに江戸の者が多かった。江戸末期の150年間に東慶寺に駆け込んだ女は2000人を超えたであろうといわれる。女が東慶寺に駆け込んだ場合の離縁の形式には、寺法離縁と内済(ないさい)離縁とがあった。寺法離縁は、東慶寺の寺法を表にたてた離縁であり、内済離縁(内済とは和解の意)は、夫が妻の駆け込んだことに驚き、改めて女に普通の離縁状を渡すことによって成立する離縁である。古くは寺法離縁だけであったが、のちに寺の勧奨による内済離縁が現れてその数を増し、幕末には大部分が内済離縁であった。寺法離縁の場合、古くは離縁状は不要であったが、元禄(げんろく)(1688~1704)以後、女は男から寺法離縁状(普通の離縁状と異なる)を得ることが必要となった。東慶寺は、夫に正式の使者を派遣するなどして離縁状を出すように説得し、夫がどうしても出さないときは、東慶寺から寺社奉行(ぶぎょう)に訴え、寺社奉行所では夫を仮牢(かりろう)入りで脅して離縁状を出させた。寺法離縁の場合には、夫が寺法離縁状を出しても、女は足掛け3年(24か月)在寺することを要した。近時、満徳寺に関する研究も漸次現れている。

[石井良助]

『石井良助著「江戸の離婚――三行半と縁切寺」(『日本婚姻法史』所収・1977・創文社)』『井上禅定著『駆込寺東慶寺史』(1980・春秋社)』

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百科事典マイペディア 「縁切寺」の意味・わかりやすい解説

縁切寺【えんきりでら】

駆込寺(かけこみでら),駆入寺とも。江戸時代に妻が逃げ込んで一定期間の勤めを果たせば,離婚が認められた尼寺。鎌倉の東慶寺と上州徳川郷の満徳寺に限られた。女性の地位が低かった時代の救済手段の一つである。
→関連項目アジール尾島[町]離婚

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「縁切寺」の意味・わかりやすい解説

縁切寺
えんきりでら

妻の側からの離婚申立てが許されなかった封建制下にあって,その救済手段として,妻がここへ駆込めば寺法によって離婚できるように定められた尼寺。駆込寺ともいう。江戸時代初期には尼寺であればどこでもよかったが,相模国鎌倉の東慶寺および上野国新田郡の満徳寺の2寺が長く残った。縁切寺に駆込んだ女は,寺の役人が調べ,内済離縁もしくは寺法離縁の手続きをとったが,寺法離縁の場合は,夫の側から離縁状が出されてのち,女が足かけ3年寺で謹慎生活をすることにより離縁が成立した。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「縁切寺」の解説

縁切寺
えんきりでら

駆込(かけこみ)寺・駆入寺とも。離縁状を渡さない夫に対して妻から離婚を求める方法が限定されていた江戸時代に,一定期間(約3年間)尼として奉公することで,女性からの離婚を可能とする特権をもった尼寺。女性救済に活躍したといわれる北条時宗の妻覚山尼(かくさんに)を開山とする神奈川県鎌倉市の臨済宗東慶(とうけい)寺や,徳川氏と関係が深く,家康の孫千姫(せんひめ)が豊臣秀頼と離縁する際,身代りの俊澄尼が入寺したという群馬県太田市にあった時宗満徳寺が有名。

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旺文社日本史事典 三訂版 「縁切寺」の解説

縁切寺
えんきりでら

江戸時代,女性が離婚要求の手段として駆け込みをした場合,離婚を許す特権を持った寺
駆込 (かけこみ) 寺ともいう。鎌倉の東慶寺と上野 (こうずけ) 国(群馬県)世良田の満徳寺が有名。江戸時代,男性は離縁状を与えて一方的に妻を離別できたが,女性は離婚請求を法的に認められていなかったので,これらの寺の存在意義があった。

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世界大百科事典(旧版)内の縁切寺の言及

【アジール】より

…織田信長や豊臣秀吉もアジール廃止の方針をとり,徳川氏もこれを踏襲し,幕府は1665年(寛文5)の諸宗寺院法度によって寺院アジールを完全に否定したのである。 江戸時代,アジールはわずかに縁切寺と火元入寺の制にその名ごりをとどめた。縁切寺としては鎌倉の東慶寺と上州世良田の満徳寺の二寺のみが黙許されていたが,東慶寺は江戸時代の中期にも助命嘆願の女性を救済した例がある。…

【駆込】より

…日本の中世・近世社会に広く見られるものである。江戸時代,鎌倉松ヶ岡の東慶寺や上野国世良田の満徳寺が縁切寺として,寺内へ駆け込んだ女性に離婚の成立する慣行があったことはよく知られている。また奥州の守山藩では罪を犯した百姓たちが,その菩提寺などに駆け入り,〈寺抱え〉となることによって藩の処罰をうけずにすむ慣行が存在していた。…

【東慶寺】より

…江戸時代の寺領は112貫380文。この寺は代々尼僧が住職をついでおり,そのため女性の悩みを持ちこまれることが多く,江戸時代には俗に〈縁切寺〉〈駆込寺〉と呼ばれた。寺法によれば,〈かけこみ女〉が3年間寺に身をおけば離縁ができることになっている。…

※「縁切寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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