尾崎神社(読み)おさきじんじや

日本歴史地名大系 「尾崎神社」の解説

尾崎神社
おさきじんじや

[現在地名]釜石市平田 尾崎

尾崎半島の先端青出あおだし鎮座、祭神は日本武尊。「三閉伊路程記」によると、平田へいた村の外れに尾崎明神の本宮があり、同地から山坂を三つほど越えて尾崎明神の本社がある。当社は奥宮とよばれ、釜石の尾崎神社を里宮とよぶ。「尾崎大明神御本地」によると、鎌倉期閉伊へい地方の開拓者であった閉伊頼基の霊を祀ったところで、本宮は船越ふなこしはま(現下閉伊郡山田町)にある荒神あらがみ社、釜石の尾崎神社はその新宮であるという。

尾崎神社
おざきじんじや

[現在地名]大船渡市赤崎町

鳥沢とりさわ大船渡湾に突き出した尾崎岬にある。主祭神は稲倉魂神。配神は建速須佐男神・照摩神・琴平神・海住神。旧郷社。創建の時期等は不明。理訓許段りくこた明神を祀ると伝えられる。元禄一一年(一六九八)の「気仙郡古記」には尾崎明神宮とあり、宝暦一一年(一七六一)の「気仙風土草」には尾崎照摩おざきてるま明神ともいい、祭日は九月一九日、本地仏は十一面観音、別当は山伏大善院と記す。

尾崎神社
おざきじんじや

[現在地名]安芸区矢野町 八幡

矢野やの谷入口の西を扼する標高一〇メートル余の支丘上に鎮座。祭神は神功皇后・応神天皇・玉依姫・埴安姫。相殿に国之常立神ほか六柱を祀る。旧郷社。もとは南南西に稜線を上った標高約五〇メートルの宮畝みやのうねという所にあったが、不便なため慶長一九年(一六一四)火災に遭ったのを機に現在地に移したという(芸藩通志)

尾崎神社
おざきじんじや

[現在地名]金沢市丸の内

丸の内まるのうちの北西部、旧加賀藩算用場跡に位置する。天照大神・徳川家康・三代藩主前田利常を祀り、旧郷社。江戸時代には城内北の丸にあり、東照宮・権現堂などと称され、明治一一年(一八七八)現在地に移転した。寛永一七年(一六四〇)四代藩主前田光高が徳川家光の許可を得て、日光東照宮の分霊を勧請したもので(天寛日記)、同二〇年城内北の丸に社殿造営(延宝年中社寺来歴)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

百科事典マイペディア 「尾崎神社」の意味・わかりやすい解説

尾崎神社【おざきじんじゃ】

岩手県釜石市釜石に鎮座する旧郷社。豊玉彦(とよたまひこ),豊玉姫の両命,日本武尊(やまとたけるのみこと),閉伊(へい)三郎源頼基をまつる。1220年頼基の遺言により創建と伝える。海上守護の神として信仰厚く,10月の例祭には曳船祭,虎舞がある。

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デジタル大辞泉プラス 「尾崎神社」の解説

尾崎神社

石川県金沢市にある神社。加賀藩4代藩主、前田光高が曽祖父の徳川家康を祀るために創建。金沢東照宮とも。本殿、拝殿及び幣殿などが国の重要文化財に指定されている。

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