山内一豊(やまうちかずとよ)(読み)やまうちかずとよ

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

山内一豊(やまうちかずとよ)
やまうちかずとよ
(1546―1605)

安土(あづち)桃山時代・江戸初期の大名。土佐藩祖。尾張(おわり)に生まれる。幼名辰之助(たつのすけ)。伊(猪)右衛門(いえもん)と称す。対馬守(つしまのかみ)、土佐守となる。父盛豊(もりとよ)は岩倉城主織田信安(のぶやす)に仕え黒田城を預かったが、戦死後、一豊は諸所を流浪する。永禄(えいろく)(1558~70)末年~元亀(げんき)(1570~73)の間に織田信長に仕え、1573年(天正1)の朝倉(あさくら)攻めで功をたて近江(おうみ)唐国(からくに)400石を領す。このころ妻の金で馬を買って馬揃(うまぞろえ)に臨んだ話は有名。のち豊臣(とよとみ)秀吉に属し長篠(ながしの)の戦い、中国征伐、山崎の合戦、賤ヶ岳(しずがたけ)の戦い、小牧(こまき)・長久手(ながくて)の戦い、紀州征伐などに従軍し、85年閏(うるう)8月近江長浜2万石の城主となり、豊臣秀次(ひでつぐ)付を命ぜられる。90年小田原征伐に従軍、9月遠州(静岡県)掛川(かけがわ)5万石の城主となる。

 1600年(慶長5)関ヶ原の戦いで徳川家康に属し、戦後土佐20万2600石を与えられ、1年1月8日浦戸(うらど)に入城高知城を築き、3年8月21日高知に移り、領国経営に尽力した。慶長(けいちょう)10年9月21日(20日説もある)没。法号は大通院殿心峯宗伝(だいつういんでんしんほうしゅうでん)。潮江真如寺(うしおえしんにょじ)山(高知市)に葬られる。

[山本 大]

『山本大著『山内一豊』(1966・人物往来社)』


出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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