山崎豊子(読み)ヤマサキトヨコ

デジタル大辞泉 「山崎豊子」の意味・読み・例文・類語

やまさき‐とよこ【山崎豊子】

[1924~2013]小説家。大阪の生まれ。本姓、杉本。大阪を舞台にした小説で執筆活動をスタートし、「花のれん」で直木賞受賞。その後は綿密な取材に基づく社会派問題作を数多く手がけ、人気作家となる。他に「白い巨塔」「大地の子」「華麗なる一族」など。映像化された作品も数多い。

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知恵蔵 「山崎豊子」の解説

山崎豊子

小説家。1924年、大阪・船場の老舗昆布店に生まれる。実際の事件や出来事に基づいた、権力や組織の裏側などに迫る社会性の強いテーマに加え、人間模様も織り交ぜた物語で幅広い層から支持を得る。代表作の一つ『不毛地帯』は累計540万部を誇るベストセラーとなっている。精力的で綿密な取材と、膨大な資料集めでも有名。1991年、菊池寛賞受賞。2009年刊行の『運命の人』で、同年に毎日出版文化賞特別賞を受賞。
京都女子専門学校(現・京都女子大)を卒業後、45年に毎日新聞大阪本社学芸部に勤め、家庭面の記者を担当。当時同社に在籍していた作家・井上靖の指導を受ける。勤めながら書いた、生家をモデルにした作品『暖簾(のれん)』で57年に作家デビュー。翌58年、吉本興業の女性創業者をモデルにした『花のれん』で直木賞を受賞。その後毎日新聞社を退社し、作家業に専念し始める。
59年『ぼんち』、63年『女系家族』、64年『花紋』などを刊行。65年に刊行した、医学界権力闘争医療過誤を描いた『白い巨塔』はサンデー毎日連載当時から話題で、映画化・ドラマ化するなどの大ヒット作となり、以降、実在する事件や社会問題、権力の暗部などを扱った長編小説を発表するようになった。政治と資本の癒着に迫る『華麗なる一族』(73年)、シベリア抑留がテーマの『不毛地帯』(76年)、中国残留孤児の人生を描く『大地の子』(91年)、航空会社を舞台に日本型企業の労使問題を扱った『沈まぬ太陽』(99年)など、代表作のほとんどが映画化やドラマ化され、作品によっては時代を越えてリメイクされている。2009年に映画化された『沈まぬ太陽』は、日本アカデミー賞を受賞した。
また、『大地の子』の印税などを基に1993年に「山崎豊子文化財団」を設立。日本に帰国した中国残留孤児の学資援助なども行っている。
人気の一方、盗用疑惑でたびたび訴訟問題を起こした。『花宴』(68年)では、レマルクの『凱旋門』の訳文や芹沢光治良の小説『巴里夫人』等からの盗用があるのではないかと問題視された。このことがきっかけで、日本文藝家協会を退会。1年間執筆活動をやめたのち、69年に同協会に再入会する。また『不毛地帯』について、朝日新聞社が新聞記事からの盗用があることを指摘した記事を掲載。山崎氏が朝日新聞社を名誉棄損で訴えたが、78年に和解。『大地の子』でも大学教授から著作権侵害で訴えられたが、山崎氏が勝訴した。
13年9月29日、88歳で呼吸不全により死去。13年8月から「週刊新潮」に連載していた小説「約束の海」が遺作となった。

(富岡亜紀子  ライター / 2013年)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「山崎豊子」の意味・わかりやすい解説

山崎豊子
やまさきとよこ
(1924―2013)

小説家。大阪市生まれ。1944年(昭和19)京都女子専門学校国文科卒業。毎日新聞社入社、調査部から学芸部へ移り井上靖(やすし)のもとで働く。1957年(昭和32)生家の昆布商をモデルに大阪の商人気質(かたぎ)を描いた処女作『暖簾(のれん)』を発表して注目され、ついで女席亭の苦闘の一代を描いた『花のれん』(1958)で第39回直木賞受賞、大阪商人の典型を描ききって、以後文壇の第一線に躍り出た。『しぶちん』(1958)、『ぼんち』(1959)、『女の勲章』(1960~1961)、『女系家族』(1962~1963)、『花紋(かもん)』(1962~1964)と次々に話題作を発表、船場(せんば)ものを脱し、続いて、『白い巨塔』(1963~1965)、『続白い巨塔』(1967~1968)では医学界の暗部を抉(えぐ)り、一時盗用問題で文壇から遠ざかったが、金融界を舞台に閨閥(けいばつ)・企業悪・官僚悪を描いた『華麗なる一族』(1973)、シベリアの強制収容所を描く『不毛地帯』(1976~1978)、日系人強制収容所・太平洋戦争・原爆・東京裁判をテーマとした『二つの祖国』(1980~1983)、中国を舞台に戦争孤児を描いた『大地の子』(1987~1991。菊池寛賞)、ケニアを舞台にした『沈まぬ太陽』(1995~1998)等、綿密な取材力と構成力を備え、社会的視野にたった問題作・長編力作を次々と書き継いだ。1993年(平成5)、山崎豊子文化財団を設立した。

[橋詰静子]

『『山崎豊子全作品 1957―1985』全10巻(1985~1986・新潮社)』『『「大地の子」と私』(1999・文芸春秋)』『『暖簾』『花のれん』『女系家族』『白い巨塔』上下『続白い巨塔』『華麗なる一族』『不毛地帯』1~4『二つの祖国』上中下『沈まぬ太陽』1~5(新潮文庫)』『『大地の子』1~4(文春文庫)』

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百科事典マイペディア 「山崎豊子」の意味・わかりやすい解説

山崎豊子【やまざきとよこ】

小説家。本姓杉本。大阪市南区(現中央区)の船場に生れる。1944年京都女専(現京都女子大)国文科卒業。毎日新聞入社,学芸部で当時学芸部長だった井上靖のもとに働く。勤務のかたわら,生家の昆布屋をモデルに,大阪商人の典型を描いた《暖簾(のれん)》を刊行し作家デビュー。《中央公論》連載の《花のれん》で第39回直木賞受賞。以後,《ぼんち》《女の勲章》などの長編を発表。医学界の暗部を暴露した《白い巨塔》,閨閥(けいばつ)政治と資本の癒着を追求した《華麗なる一族》で,鋭い社会批判を含む独自の作風を確立する。《不毛地帯》《二つの祖国》《大地の子》の戦争三部作で,戦前・戦中から戦後の高度経済成長社会に変貌を遂げる日本社会の暗部を描く大作を次々完成させ,さらに航空機事故と航空会社内の腐敗をとりあげた《沈まぬ太陽》を発表した。1992年菊池寛賞受賞。広い社会的視野に立つ作品で多くの読者を獲得した。作品の大半が映画化・TVドラマ化されている。《山崎豊子全集》全23巻(2005年完結,新潮社)がある。
→関連項目山本薩夫

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「山崎豊子」の意味・わかりやすい解説

山崎豊子
やまさきとよこ

[生]1924.1.2. 大阪,大阪
[没]2013.9.29. 大阪
作家。本名杉本豊子。社会問題に深くメスを入れた重厚なベストセラー小説で知られた。大阪市船場の老舗の昆布商の家に生まれた。1944年京都女子高等専門学校(→京都女子大学)を卒業後,毎日新聞大阪本社に入社した。学芸部記者時代の 1957年に生家をモデルにした『暖簾』でデビュー。1958年『花のれん』で直木賞を受賞して作家生活に入った。大学病院の権力闘争や医療ミスを告発した『白い巨塔』(1965),『続白い巨塔』(1969),戦闘機選定をめぐる政界と商社の癒着を描いた『不毛地帯』(全4巻,1976~78),中国残留孤児の半生を綴った『大地の子』(全3巻,1991),飛行機事故を招いた航空会社の体質を暴いた『沈まぬ太陽』(全5巻,1999),沖縄返還協定に関する外務省密約事件を扱った『運命の人』(全4巻,2009)など,著作の大半は映画やテレビドラマとなり,人気作家になった。学徒動員で学業の夢を道半ばに断たれた体験から戦争を憎み,綿密な取材で国家や巨大組織の暗部をえぐり出した。1991年菊池寛賞,2009年毎日出版文化賞特別賞を受賞。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山崎豊子」の解説

山崎豊子 やまさき-とよこ

1924-2013 昭和後期-平成時代の小説家。
大正13年11月3日生まれ。毎日新聞社につとめ,当時上司だった井上靖に指導される。昭和33年「花のれん」で直木賞。医学界の暗部をさぐった「白い巨塔」(40年)以来,「不毛地帯」「大地の子」で社会的なテーマを追求して話題をよび,平成3年菊池寛賞。21年「運命の人」で毎日出版文化賞。平成25年9月29日死去。88歳。大阪府出身。京都女子専門学校(現・京都女子大)卒。本名は杉本豊子。

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367日誕生日大事典 「山崎豊子」の解説

山崎 豊子 (やまさき とよこ)

生年月日:1924年11月3日
昭和時代;平成時代の小説家

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