山本春正(読み)やまもと・しゅんしょう

朝日日本歴史人物事典 「山本春正」の解説

山本春正(5代)

没年:享和3.5(1803)
生年享保19.12.29(1735.1.22)
江戸中期蒔絵師。幼名勝之丞。名は正令。春正家に遺された『山本春正家系譜』によれば,長じて次郎兵衛と改め,姓を「春正」としたという。春正家は,2代景正のときに,姓を「山本」から「春正」そのものに改め,3代政幸も「春正」姓を名乗った。4代春継が晩年「柏木」姓に改めたものを,5代が再び「春正」に復したことになる。初代春正は,蒔絵師としての本業のかたわら,和歌の師木下長嘯子の私家集『挙白集』や,和歌をいろは順に分類して検索できるようにした『古今類句』の刊行にかかわったことで知られる。また自ら挿絵を描いて『源氏物語』54帖を刊行するなど,その業績が明らかであるが,後代においてはその実態はよくわかっていない。同系譜によれば,「京二条通東洞院東入」に住んでいた5代春正は,天明8(1788)年1月晦日に起こった大火に類焼し,翌寛政1(1789)年1月に名古屋に移った。同系譜の正令の3男春章のところに「後有松村母方伯父服部氏へ養子トナル」とあり,5代春正正令の妻は有松絞りで知られる有松村(名古屋市緑区有松町)の「服部氏」の出であることがわかる。服部氏は有松村の絞り商「服部孫兵衛家」で,春章は服部家の4代目を継いでいる。春正正令は,この服部家を頼って名古屋にやってきたものと思われる。極楽寺(名古屋市中区)に葬られた。<参考文献>『山本春正家系譜』(一部翻刻,『名古屋市博物館紀要』11巻)

(小川幹生)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「山本春正」の意味・わかりやすい解説

山本春正
やまもとしゅんしょう

江戸時代から明治にかけての世襲の蒔絵(まきえ)師。10代まである。初代(1610―82)は京都の人で、通称は次郎三郎。晩年法橋(ほっきょう)に叙せられ舟木と号した。初め木下長嘯子(きのしたちょうしょうし)に歌道を学び、『二十一代集類句』を著す。伊藤仁斎(じんさい)とも交わり、漢学にも通じた文人であったが、漆芸、ことに蒔絵にも巧みであったことからこれを家業となし、清楚(せいそ)な作風に特色があった。2代景政(かげまさ)(?―1707)以下代々春正を名のり、5代正令(まさよし)(1734―1803)からは名古屋へ移住。6代正之(まさゆき)(1774―1831)は尾張(おわり)藩の小納戸(こなんど)御具足方(ぐそくかた)御用を勤め、以下明治まで続いた。

[郷家忠臣]

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百科事典マイペディア 「山本春正」の意味・わかりやすい解説

山本春正【やまもとしゅんしょう】

京都の蒔絵(まきえ)師。初世〔1610-1682〕は木下長嘯子に和歌を学び,伊藤仁斎と交わって漢籍にも通じたが,蒔絵を好んで家業とするに至った。2世〔?-1707〕は初世の子で,春正景正と号し,以来春正を家名とした。研出(とぎだし)蒔絵を得意とし,東山天皇即位の調度に蒔絵した。5世〔1734-1803〕は春正正令。1789年から名古屋で活動。6世〔1774-1831〕は5世の子。春正正之。尾州家御小納戸御具足方御用を勤めた。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山本春正」の解説

山本春正(初代) やまもと-しゅんしょう

1610-1682 江戸時代前期の歌人,蒔絵(まきえ)師。
慶長15年1月25日生まれ。京都の人。木下長嘯子(ちょうしょうし)に和歌をまなび,「挙白集」「古今類句」などを編集。また蒔絵の技にすぐれ,法橋(ほっきょう)となった。蒔絵師山本家の祖。天和(てんな)2年9月8日死去。73歳。通称は次郎三郎。号は舟木。著作に「舟木集」など。

山本春正(5代) やまもと-しゅんしょう

1734-1803 江戸時代中期-後期の蒔絵(まきえ)師。
享保(きょうほう)19年生まれ。4代山本春正の子。京都の人。柏木の姓を春正にもどす。天明8年の大火で類焼し,翌寛政元年に名古屋に移住した。享和3年5月25日死去。70歳。名は正令(まさよし)。通称は次郎兵衛。

山本春正(6代) やまもと-しゅんしょう

1774-1831 江戸時代後期の蒔絵(まきえ)師。
安永3年生まれ。5代山本春正の子。家業をつぎ,尾張(おわり)名古屋藩の小納戸(こなんど)具足方御用をつとめた。天保(てんぽう)2年2月17日死去。58歳。名は正之。通称は又四郎。号は敬道。

山本春正(4代) やまもと-しゅんしょう

1703-1770 江戸時代中期の蒔絵(まきえ)師。
元禄(げんろく)16年生まれ。3代山本春正の子。京都の人。家業をつぎ,宝暦12年柏木伴助と改名。明和7年5月13日死去。68歳。名は春継。通称は八左衛門。

山本春正(2代) やまもと-しゅんしょう

?-1707 江戸時代前期の蒔絵(まきえ)師。
初代山本春正の子。京都の人。家業をつぎ,東山天皇即位の際,調度に蒔絵をほどこした。姓を山本から春正とした。宝永4年5月26日死去。名は景正。通称は次郎兵衛。

山本春正(3代) やまもと-しゅんしょう

1654-1740 江戸時代前期-中期の蒔絵(まきえ)師。
承応(じょうおう)3年生まれ。2代山本春正の子。京都の人。家業をつぐ。元文5年9月13日死去。87歳。名は政幸。通称は八左衛門。号は常照。

山本春正(7代) やまもと-しゅんしょう

1806-1871 江戸時代後期の蒔絵(まきえ)師。
文化3年生まれ。6代山本春正の子。尾張(おわり)(愛知県)の人。家業をつぐ。明治4年2月死去。66歳。名は正徳。通称は実太郎。号は卜斎。

山本春正(8代) やまもと-しゅんしょう

1816-1877 江戸後期-明治時代の蒔絵(まきえ)師。
文化13年生まれ。6代山本春正の子。兄の7代山本春正の跡をつぐ。明治10年3月6日死去。62歳。名は正周。通称は東三郎。

山本春正(9代) やまもと-しゅんしょう

?-? 江戸後期-明治時代の蒔絵(まきえ)師。
8代山本春正の子。明治11年隠居。名は正章。通称は次郎兵衛。

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367日誕生日大事典 「山本春正」の解説

山本春正(5代目) (やまもとしゅんしょう)

生年月日:1734年12月29日
江戸時代中期;後期の蒔絵師
1803年没

山本春正(初代) (やまもとしゅんしょう)

生年月日:1610年1月25日
江戸時代前期の蒔絵師
1682年没

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