自由民主党竹下派(経世会)から分裂した羽田(はた)派が自民党を離党、1993年(平成5)6月23日に結成した政党。党首は羽田孜(はたつとむ)、幹事長・書記長にあたる代表幹事は小沢一郎。細川護熙(もりひろ)連立政権では、羽田が副総理・外相、藤井裕久(ひろひさ)(1932―2022)が蔵相、熊谷弘(くまがいひろし)(1940― )が通産相に就任するなど内閣の枢要なポストを押さえた。
結党時は衆議院議員36人、参議院議員8人の計44人であったが、1993年7月の衆院選挙で55人を獲得、自民党、日本社会党に次いで第三党になった。結党宣言では「漸進的改革を信条とする新しい保守主義」を掲げ、基本綱領のなかで、抜本的な政治改革による参加・公開に基づく民主主義政治の実現、規制緩和による健全な市場経済の発展、国際社会での責任と役割を自覚した新しい日本造りなどをうたった。衆院の小選挙区比例代表並立制導入に伴う政界再編の動きのなかで、1994年12月、公明、民社、日本新党各党などと新進党を結成、新生党は解党した。
[橋本五郎・水野雅之]
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1993年(平成5)6月23日,自民党を離脱した議員で結成。自民党内で新保守主義を唱える「改革フォーラム21」(1992結成)が前身。党首は羽田孜(つとむ),代表幹事小沢一郎ら44人。93年7月の総選挙で55人当選,自民党・社会党につぐ第3党に躍進した。細川・羽田両内閣の与党として主軸をなしたが,94年村山内閣の成立で野党となり,12月新進党に合流した。
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[55年体制の終焉とその後]
さらに,80年代末になると,政治腐敗の噴出,派閥政治の横行,無党派層の増大といった55年体制の制度疲労の徴候がますます顕在化し,政治改革への声が加速度的に増幅されてきた。このような事態を背景にして起こったのが〈新党ブーム〉で,まず登場してきたのが,92年5月の細川護熙をリーダーとする日本新党であり,これに続く動きが,93年6月の武村正義らの自民党からの離党者による新党さきがけの,またその数日後の小沢一郎らのもう一つの自民党離党者グループによる新生党の,結成である。そして,その1ヵ月後に行なわれた総選挙で,自民党は,第一党の地位は保ったものの過半数の議席を得ることができず,非自民勢力の結束の前に,ついに38年間維持しつづけた政権の座を下りた。…
※「新生党」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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