岩城重隆(読み)いわき・しげたか

朝日日本歴史人物事典 「岩城重隆」の解説

岩城重隆

没年永禄12(1569)
生年:生年不詳
戦国時代武将。由隆の子。左京大夫。岩城氏常陸大掾平国香の曾孫則道(隆道)が陸奥国(福島県)磐城郡に土着したのが初めという。その後,好島庄をはじめ磐城郡内に勢力を扶植。重隆の時代,天文年間(1532~55)には北は楢葉郡から南は常陸(茨城県)の一部にまでおよぶ領国を形成。重隆は伊達晴宗との姻戚関係を保ち,相馬氏に対し,伊達氏と連合戦線を結成し,伊達氏天文の乱においても晴宗方についている。月山明徹と号す。荒川の竜門寺に葬る。その子親隆の代には岩城氏は佐竹氏に従属し,のち入嗣もなされた。

(伊藤清郎)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「岩城重隆」の解説

岩城重隆(2) いわき-しげたか

1628-1708* 江戸時代前期-中期大名
寛永5年1月17日生まれ。岩城宣隆の子。母は顕性院。明暦2年出羽(でわ)亀田藩(秋田県)藩主岩城家2代となる。万治(まんじ)2年大坂加番,天和(てんな)3年越後(えちご)(新潟県)高田城在番をつとめる。徳川光圀知遇をえた。宝永4年12月11日死去。80歳。号は月峰

岩城重隆(1) いわき-しげたか

?-1569 戦国時代の武将。
天文(てんぶん)11年(1542)家をつぎ,陸奥(むつ)磐城(いわき)大館城(福島県)城主となる。のち陸奥楢葉(ならは)郡・磐城郡から常陸(ひたち)(茨城県)の一部へ支配を拡大。陸奥では伊達氏とむすび相馬氏と,常陸では佐竹氏とあらそった。養子親隆のときに佐竹氏にしたがった。永禄(えいろく)12年死去。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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