加茂町の南端部、奈良県境近くの
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
京都府木津川(きづがわ)市加茂町岩船(かもちょういわふね)にある真言律宗の寺。山号は高雄山(こうゆうざん)。聖武(しょうむ)天皇の729年(天平1)に行基(ぎょうき)が阿弥陀(あみだ)堂を建立したのが始まりで、のち弘法(こうぼう)大師(空海)とその甥(おい)の智泉(ちせん)が伝法を行ってから灌頂(かんじょう)堂となり、智泉が新たに報恩(ほうおん)院を建立した。その後も皇室の援助によって堂舎が建てられ、岩船寺と称するようになった。盛時は寺塔39坊を数えたが、1221年(承久3)承久(じょうきゅう)の乱の兵火にかかり、また1311年(応長1)再度の兵火により堂宇の過半を焼失した。寛永(かんえい)年間(1624~44)徳川幕府の寄進によって修造された。本尊阿弥陀如来坐像(あみだにょらいざぞう)、普賢菩薩(ふげんぼさつ)像など国の重要文化財も多い。境内には三重塔、石造の十三重塔と五輪塔、石室(いずれも国の重要文化財)などがある。なお、岩船寺周辺には鎌倉時代のものと推定される石仏、石塔が多い。
[野村全宏]
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
…京都府相楽郡加茂町にある真言律宗西大寺末の寺。山号は高雄山。〈いわふねでら〉,高雄山報恩院ともいう。当寺の縁起では行基開基,空海の甥智泉の中興とするが確証はない。興福寺末の随願寺(東小田原寺)の衰微により,弘安年中(1278‐88)に報恩院,灌頂堂などを移して建立された。浄瑠璃寺とともに興福寺の別所でもあった。現今境内には1848年(嘉永1)に建立された本堂内に946年(天慶9)の巨大な木造阿弥陀如来座像,1442年(嘉吉2)の三重塔などが散在している。…
※「岩船寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加
9/20 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新