福昌寺(読み)ふくしようじ

日本歴史地名大系 「福昌寺」の解説

福昌寺
ふくしようじ

[現在地名]朝日町宮宿

宮宿みやじゆく市街地の中心部にあり、熊野山と号し、曹洞宗本尊釈迦如来。鳥屋とやもり館主岸美作守義満が巣林すりん(現尾花沢市)七世第鷹俊最を招き、館下の根古屋ねごやに一寺を建立し山号を三宝山と称したと伝える。第鷹俊最は永禄三年(一五六〇)に死去しており、寺の開創は同元年頃と考えられている。鳥屋ヶ森館が最上義光に攻略された際、寺も兵火にかかりいったん三本木さんぼんぎに移転、山号も三本山と改めたが、天正一七年(一五八九)宮宿付近の開拓進展に伴い熊野権現社地に移り、熊野山と称した。


福昌寺
ふくしようじ

[現在地名]八戸市白銀四丁目

白銀しろがね四丁目の西南に位置する。銀浪山と号し、曹洞宗。本尊は釈迦牟尼。寛保四年(一七四四)の諸寺院寺号山号帳(八戸市立図書館蔵)に「一松館大慈寺末寺白金村 金良山福昌寺」とある。開山大慈だいじ寺二世日庵で、同僧は寛永一二年(一六三五)の没とされる(新撰陸奥国誌)


福昌寺
ふくしようじ

[現在地名]下関市大字松小田

松小田の責倉まつおだのせめくらにある。曹洞宗で東光山と号し、本尊は薬師如来

寺伝によれば、延暦一一年(七九二)比叡山延暦寺の僧幻心がこの地に来て草創、四王山薬師寺と称した。大同二年(八〇七)漁網にかかって引き上げられた薬師如来を本尊として祀ったという。


福昌寺
ふくしようじ

[現在地名]西区大野木二丁目

宝林山と号し、曹洞宗。本尊阿弥陀如来。「徇行記」には、草創年代不詳、永正六年(一五〇九)に久岳瑞昌が再建したと記すが、「西春日井郡誌」には、創建は同年だが、開基は塙宗悦、開山は東廓であるとする。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「福昌寺」の意味・わかりやすい解説

福昌寺 (ふくしょうじ)

鹿児島県鹿児島市池之上町に存した曹洞宗の禅寺で,1895年に現在地の川内市向田町へ移転した。山号は玉竜山。1394年(応永1)島津家7代元久が石屋真梁(せきおくしんりよう)を請じて創建し,以来島津家歴代菩提所として日・薩・隅3州を支配する一方,全国に千有余の末寺を有する名刹であった。また1546年(天文15)には,後奈良天皇綸旨(りんじ)により勅願寺となった。歴代の住持のなかでは,開基檀越(だんおつ)島津元久の世子であった福昌寺3世仲翁守邦(ちゆうおうしゆほう)(幼名梅寿)をはじめとして,5世心厳良信(中興),11世天祐宗津,13世大鷹宗俊,18世代賢守仲などがとくに著名である。
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