日本大百科全書(ニッポニカ)「巨石記念物」の解説
巨石記念物
きょせききねんぶつ
面取りや化粧仕上げなどの加工が比較的少ない大きな石を用いてつくられた建造物で、一般に新石器時代から初期金属器時代に建造されたものをいう。その研究は19世紀後半に西ヨーロッパで始まった。巨石ということばはギリシア語のメガスmegas(巨大な)とリトスlithos(石)に由来し、英語ではmegalithic monumentという。
中世には、巨石記念物を「巨人の墓」とする考えが主流であった。これは各地にみられる古文書などによって知られ、中世のヨーロッパ人は「巨人の墓」の被葬者の身長を3~5メートルと考えていた。その後、文献による巨石記念物の建造者の究明が試みられ、ローマ人などさまざまな民族が建造者とみなされた。また、ローマ時代の歴史家や旅行家の著述に、イギリスの巨石記念物の記載がないことから、これをローマ時代以降のものとする説も主張された。
巨石記念物と一口にいってもその内容は多岐にわたる。G・ダニエルはヨーロッパの巨石記念物を次の4種に分けた。
[寺島孝一]
立石
第一は単一の立石(りっせき)(メンヒルmenhir)で、フランスのブルターニュ地方に多く分布している。高さは1~6メートルほどのものが多いが、とくに巨大なロックマリアケルのメンヒルは長さ20メートルを超えている。また南フランスからイタリアにかけては、彫刻のある立石がみられる。
[寺島孝一]
立石群
第二は立石群で、これはさらに二つに分けられる。一つは環状列石で、グレート・ブリテン島西部には、コーンウォールやカンバーランドで単一の輪を形成するものがある。同じ環状列石でも、エーブベリーやストーンヘンジでは、幾重にも列石を巡らせたり、堤や溝をつくっている。これらを総称してストーン・サークルstone circleとしているが、その多くが正円ではなく、楕円(だえん)形を呈しているところから、近年はストーン・リングstone ringとよばれることが多い。立石群の第二は列石(アリニュマンalignement)で、フランスのブルターニュ地方カルナックの列石が著名である。この列石は大きく3群に分かれるが、東西にほぼ4キロメートルにわたり続くものである。この3群のうち用いられた石材のもっとも多いものはメネック群で、幅100メートル、長さ100メートルの中に、1099本の立石が11列に並べられている。アリニュマンの分布は、フランス、イギリスにとくに多い。
[寺島孝一]
巨石墓
第三は巨石墓で、これがヨーロッパの巨石記念物のなかではもっとも多く、中心的な存在である。分布はスカンジナビア半島からイベリア半島まで普遍的にみられ、現在も5万基ほどが残っているとされている。巨石墓のなかで支石墓(ドルメンdolmen)は、3枚以上の支石の上に天井石をのせた比較的単純な構造をもっている。羨道墓(せんどうぼ)(ギャラリー・グレーブgallery grave)で最大のものはアイルランドのニューグレンジにあるもので、長さ19メートルの墓道と、高さ6メートルの十字形をなす玄室からなっている。この天井は持送り式にしているが、この形態はイギリスのオークニー諸島に数多くみられる。
[寺島孝一]
巨石神殿
第四は巨石神殿であるが、これは地中海のマルタ島、ゴゾ島周辺に限られている。この遺跡は墓所と考えられたこともあったが、埋葬の痕跡(こんせき)がなく、現在では神殿と考えられている。
巨石墓の上や周囲に立石が配されたり、立石群が巨石墓に連なるなど、立石や立石群と巨石墓はそれぞれ独立したものではなく、互いに関連したものであるといえる。
巨石を用いた建造物はヨーロッパに限らず世界中に認められる。ピラミッドなどは巨石記念物からは除外されることが多いが、小形の箱式石棺なども含むこともあり、巨石の範囲をどこまでとするかはさまざまである。またG・E・スミスの太陽崇拝を伴う巨石文化の移動説は、現在受け入れられていないものの、巨石記念物を考えるうえで、学界に大きな波紋を投げかけた。
[寺島孝一]
『G・ダニエル著、近藤義郎他訳『メガリス』(1976・学生社)』