頂部に高い巾子(こじ)を造作した一種の笠。平安時代に行われたものは周縁部が大きく深く,肩,背をおおうほどであったが,鎌倉時代以後には,小さく浅くなり,巾子の部分も安土桃山時代には先端をとがらせて装飾をほどこすようになった。もともとこの笠はスゲ(菅)製であったが,江戸時代には竹,ヒノキの剝片を組んで紙を張り,これに黒漆を塗った塗笠に変わり,やがてまったく衰滅してしまった。その名の示すように,もとは市女のかぶった笠であったが,平安時代中期以後には上流婦人の外出に着装され,また雨天の行幸供奉(ぎようこうぐぶ)には公卿も着用するようになり,その名も局笠(つぼねがさ),窄笠(つぼみがさ)などと呼ばれた。この笠の着装には,じかにかぶる方法と,被衣(かずき)をかぶった上に着装する方法とがあった。また平安から鎌倉時代にかけて,旅行にはその周縁から薄い布を垂らしたが,これを虫の垂衣(むしのたれぎぬ)といった。
→笠
執筆者:宮本 馨太郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
縫い笠の一種。縁(ふち)の張った形に縫い、頂部に巾子(こじ)という高い突起をつくった菅笠(すげがさ)。初め市に物売りに出る女がかぶったところからこの名がある。しかし、平安時代も中期以後には上流婦人の外出に着装されるようになり、旅装としての壺装束(つぼしょうぞく)を構成するようになった。また、雨天の行幸供奉(ぐぶ)には公卿(くぎょう)にも着用されるようになり、局笠(つぼねがさ)、窄笠(つぼみがさ)などともよばれた。当時のものは周縁部が大きく深いので肩や背を覆うほどであったが、鎌倉時代以後のものはそれが小さく浅くなり、安土(あづち)桃山時代では、その先端をとがらせ装飾を施すようになり、江戸時代になると黒漆の塗り笠になって、やがて廃れていった。
[宮本瑞夫]
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
笠の一種。市に集まる女性が多く用いていたことによる名称。平安時代からあり,菅を材料とし,幅広の万頭(まんじゅう)形の中央をやや高くして造った。当時の女性は,外出時に顔をださない慣習から,被衣(かずき)をかけて上からかぶったり,笠の周辺に枲垂衣(むしのたれぎぬ)をかけた。雨の行幸では公家の男子も雨具として用いた。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
…《万葉集》にも,〈河のしづ菅我が苅りて編まなく〉〈王(おおぎみ)の御笠に縫へる有馬菅〉などとうたわれるように,スゲを苅って笠に編んだことがわかる。平安時代には,武士の旅行用や流鏑馬(やぶさめ)に綾藺(あやい)笠が用いられ,女性の外出用にはもっぱら市女(いちめ)笠が用いられた。江戸時代に入ると,形,材質の違いから,また身分,職業,用途によってさまざまな種類の笠が生まれ,武士はもとより町人,農民など男女を問わず広く用いられた。…
…烏帽子には立烏帽子と,上部を折った風折烏帽子,和船形の侍(さむらい)烏帽子などがある。この時代武士は,藺を綾編みして頭部をとがらせた綾藺笠を,女子は大型の浅い菅の市女(いちめ)笠を広く着用した。また女子では,日よけ雨よけを兼ねた垂衣(たれぎぬ)や,外出用で顔を隠す被衣(かずき)なども行われた。…
※「市女笠」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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