朝日日本歴史人物事典 「帯山与兵衛(9代)」の解説
帯山与兵衛(9代)
生年:安政3(1856)
明治大正期の京都の陶芸界の指導者。3代清水九兵衛の次男。京都生まれ。名は竜三郎。明治11(1878)年帯山家の養子となり,9代帯山与兵衛を継ぐ。帯山家は錦光山家,安田家と共に粟田口焼を代表する窯屋で,明治維新後いちはやく輸出陶器を心がけていたが,この推進役として9代与兵衛は大活躍した。白釉の陶胎をベースにして,伝統の色絵に十錦手を加味し,さらに金泥をたっぷり使って,京薩摩と呼ばれる装飾性豊かな器を作り,各国の万国博覧会で銀牌を受賞した。明治27年に粟田口窯を廃し,京都南部の八幡に南山焼を興したといわれる。
(矢部良明)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報