日本歴史地名大系 「常陸国府跡」の解説
常陸国府跡
ひたちこくふあと
常陸国府は「和名抄」に「常陸国国府在茨城郡、行程上三十日、下十五日」とあり、現石岡市に置かれた。創設の時期は不明であるが、国府の規模からみて、初代国司百済王遠宝の頃から計画され、九代百済敬福、一〇代佐伯今毛人の頃までに条坊制をもつ国府が完成したとみられている(石岡市史)。
「石岡市史」によれば、国府は国衙を西端に配し、条坊制をしき、条坊の北に国分僧寺、国衙の南に総社が設けられていた。国衙の地は方二町で、周囲を土塁と堀で囲まれ、東西南北に門があった。条坊の四至は、北は国分僧寺の境域、南はビンズル谷津、東は
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報