平城宮址(読み)へいじょうきゅうし

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

平城宮址
へいじょうきゅうし

奈良市佐紀町にある奈良時代の宮城の跡。へいぜいきゅうしともいう。幕末からその基礎的研究が始まるが,本格的調査が行なわれるようになったのは第2次世界大戦後で,特に 1954年からの奈良国立文化財研究所 (→奈良文化財研究所 ) の平城京全域を対象とする発掘調査は多大の成果を上げている。宮の中心は正殿である大極殿で,その北に天皇の居所としての内裏,南には十二堂と朝集殿が続く。宮域は土塀で画され,南面中央に朱雀門を配し,東,西,北の大路正面に宮門を置く。建造物は,基壇,礎石をもつ瓦ぶきの大陸風建築であったが,内裏内の建物は掘立柱檜皮ぶきの日本的建築と考えられる。内裏,八省院は2ヵ所に確認され,朱雀門正面にあるもの (第1次) が遷都当初のもので,それより東にあるもの (第2次) は天平 17 (745) 年以後のものと考えられている。宮域が東に拡大された部分には東院があり,緑釉瓦緑釉 塼を用いた玉殿,庭園などが確認された。

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平城宮址【へいじょうきゅうし】

平城京の北端中央にあった宮城の跡(特別史跡)で,奈良市佐紀町にある。1899年関野貞による文献,地形の調査で概略が示され,1923年―1924年,1928年の小規模な発掘ののち,1954年以降おもに奈良国立文化財研究所により本格的発掘調査が行われている。宮域から内裏(だいり),朝堂院,官衙(かんが)群などの跡が発見され,内裏,朝堂院は,初め朱雀(すざく)門正面にあったが,のちその東方に移されたと推定され,官衙群にもかなり変動の跡が認められる。宮域は,従来1km四方と考えられてきたが,1967年―1968年その東に東院跡(東西250m,南北750m)が発掘され,定説がくつがえされた。官衙の跡から出土した木簡は史料として重要。ほかに土器,瓦,木製品などが発掘されている。建物跡の表示や朱雀門の復元など整備が進められている。1998年,古都奈良の文化財として世界遺産(文化遺産)に登録。
→関連項目国立文化財研究所古都奈良の文化財世界遺産条約

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