明治天皇の勅令により侍講元田永孚(ながざね)によって編纂され1882年刊行された修身書。一時《童蒙修身綱要》とも称した。1879年明治天皇の公教育への意向を表したとされる〈教学聖旨〉により開化主義を修正し仁義忠孝の道徳を明らかにしようとする教学刷新の方針が示され,これに基づいて元田に幼童のための教訓書を編纂すべしとの下命があった。元田は,高崎正風(まさかぜ),池原香穉(こうち)(1830-84)らの協力のもとに幼学綱要の編纂にあたり81年には成稿を得たがなお修訂を重ね,82年宮内省より印刷頒布した。上中下3冊,7巻から成っている。その内容は20の徳目すなわち,孝行,忠節,和順,友愛,信義,勤学,立志,誠実,仁慈,礼譲,倹素,忍耐,貞操,廉潔,敏智,剛勇,公平,度量,識断,勉職を掲げ,それぞれの徳目についてその大意を説き,《孝経》,四書・五経などからの語句を引用し,事実例話を挙げている。さらに松本楓湖(1840-1923)の筆による図画をそえ〈観感興起の一助と為す〉こととした。これらは,知識が与えられる前に仁義忠孝の道がその頭脳に確然と刻印されていなくてはならず,徳目の大意や経語はこれを暗誦せしむるまでに反復させるべきだとする元田の考え方に基づいている。《幼学綱要》は,1880年の改正教育令を中心とする国家主義的儒教主義的風潮を代表する欽定教科書であり,宮内省版の《明治孝節録》(福羽美静・近藤芳樹ら編,1877),《婦女鑑》(西村茂樹ら編,1887)と並んで,教育勅語を頂点とする徳目主義修身教育に先鞭をつけた。
執筆者:山田 昇
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
1882年(明治15)勅命により侍講(じこう)元田東野(もとだとうや)(永孚(ながざね))が編集した児童用修身書。明治天皇は1878年東山(とうざん)、北陸、東海を巡察、これに基づいて教育方針改善意見を元田に起草させた(「教学聖旨」。1879)。しかし、祖訓を明徴にし、仁義忠孝という儒教道徳によって国教を樹立するという教学観は、伊藤博文(ひろぶみ)らの反対を受け、その具体化は宮内省を中心に行われた。すなわち、79年8月、元田に幼少児童へ教学の要を知らせる書を編集すべきことが下命され、元田らはこれを受けて81年夏脱稿、82年12月宮内省より『幼学綱要』として刊行された。本書は上中下三冊七巻からなり、孝行、忠節、和順、友愛、信義など20の徳目をたて、経書によってその意義を説明し、和漢の歴史事例を引用しつつ、絵画によって解説を加えた。頒布にあたってはとくに、「明倫修徳ノ要茲(ここ)ニ在(あ)ル事ヲ知ラシム」との勅諭が添えられた。後年の「教育勅語」発布の先駆的な位置にあるものと評価されている。
[尾崎ムゲン]
1882年(明治15)12月に宮内省から出版された児童教訓書。上中下3巻7冊の和装本。79年「教学聖旨」の筆録と同じ頃,勅命により元田永孚(ながざね)が編纂に着手,3年後の82年地方長官参内の際に勅諭とともに下賜された。図画挿入など「教学聖旨」の「小学条目二件」が示す方法に従って,儒学的な20の徳目をとりあげ,児童に仁義忠孝の精神を説いている。「教学聖旨」以来,元田ら宮中保守派が主張してきた儒教による教育是正論の具体的施策として編纂された。
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…このように日本の学校とくに初等教育機関では,明治10年代前半に修身科を中心とした道徳教育がもっとも重要な教育とされるようになった。82年には,天皇の旨を奉じた侍講元田永孚(もとだながざね)の編纂した《幼学綱要》が宮内省から刊行された。それは和漢の歴史から材料をとった儒教主義にもとづく修身書であった。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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