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広津柳浪 ひろつ りゅうろう

美術人名辞典の解説

広津柳浪

著述家。名直人。弘信の二子。明治文壇の権威。別号蒼々園。『女子政蜃楼』の処女作を発表。硯友社・紫吟社同人。小説残菊』により世評を得て『黒蜥蜴』は深刻小説代表作といわれる。その作風は社会の暗黒面を探り、常に異常人物の苦しみを描いた。著書『非国民』『和郎の父』などがある。昭和3年(1928)歿、67才。

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百科事典マイペディアの解説

広津柳浪【ひろつりゅうろう】

明治期の小説家。本名直人。長崎生れ。広津和郎は子。硯友社同人となり,《残菊》で文壇に認められた。《変目伝(へめでん)》《黒蜥蜴》《今戸心中》などで人生,社会の暗黒面を描き,深刻小説の作家とされた。
→関連項目新小説永井荷風文芸倶楽部

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

広津柳浪 ひろつ-りゅうろう

1861-1928 明治時代の小説家。
文久元年6月8日生まれ。広津和郎(かずお)の父。明治20年「女子参政蜃中楼(しんちゅうろう)」で注目される。22年硯友社(けんゆうしゃ)同人。「黒蜥蜴(くろとかげ)」「今戸(いまど)心中」などの深刻小説で知られる。明治末にはほとんどの執筆活動をやめた。昭和3年10月15日死去。68歳。肥前長崎出身。本名は直人。別号に蒼々園など。
【格言など】自立の志を決(さだ)めし上の人頼みは,避らるる丈(だけ)避るぞよけれ(「おち椿」)

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朝日日本歴史人物事典の解説

広津柳浪

没年:昭和3.10.15(1928)
生年:文久1.6.8(1861.7.15)
明治大正時代の小説家。本名直人。幼名金次郎。別号を木水子,蒼々園,崖の人。久留米藩士で医師の俊蔵,柳子の次男。長崎生まれ。父の長崎時代の医業を継ぐべく東大予備門に進学するも医学に興味を失い中退。明治11(1878)年実業家を志し大阪へ行くが失敗,同13年再び上京,翌年農商務省に入るが,両親の死などで放蕩,18年官吏をやめ,22年硯友社に参加。明治28年の「変目伝」「黒蜥蜴」,29年の「今戸心中」などの深刻小説,悲惨小説で知られる。名作「今戸心中」は遊女を主人公としつつ,江戸時代の心中劇のパターンを脱した内容を示している。<参考文献>『広津柳浪集』(明治文学全集19巻)

(佐伯順子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

世界大百科事典 第2版の解説

ひろつりゅうろう【広津柳浪】

1861‐1928(文久1‐昭和3)
明治期の小説家。長崎生れ。本名直人(なおと)。柳浪の号は,戯作の筆もとった祖父の号に由来する。父は藩士・医家で,のち官吏となる。柳浪は医業に興味が持てず,大学予備門で廃学して書記や役人の職を転々とし,両親没後は放蕩と窮乏の青年時代を送ったらしく,厭世,不安,無為の人生観を身につけることとなった。1887年(明治20)26歳で処女作《女子参政蜃中楼(しんちゆうろう)》を発表。89年硯友社(けんゆうしや)同人に加わり,文筆活動に入る。

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大辞林 第三版の解説

ひろつりゅうろう【広津柳浪】

1861~1928) 小説家。長崎の生まれ。本名、直人なおと。医科大学予備門中退。硯友社同人。「女子参政蜃中楼」で文筆生活に入り「残菊」で文壇的地位を確立。「落椿」「黒蜴蜓とかげ」「今戸心中」「雨」など多く社会底辺の暗黒面を描いて知られた。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

広津柳浪
ひろつりゅうろう

[生]文久1(1861).6.8. 長崎
[没]1928.10.15. 東京
小説家。本名,直人。5年間 (1881~85) の官吏生活を経て各地を放浪後,1889年硯友社同人となり『残菊』 (89) で文名を得た。以後『黒蜥蜴 (とかげ) 』 (95) ,『今戸心中』 (96) ,『畜生腹』 (97) などを発表して悲惨小説の代表作家と目され,泉鏡花らの観念小説と並称されたが,その後『雨』 (1902) でどん底生活の悲哀を描く写実極致を示した。小説家広津和郎の父。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

広津柳浪
ひろつりゅうろう
(1861―1928)

小説家。文久(ぶんきゅう)元年6月8日(新暦7月15日)肥前長崎生まれ。本名直人。1877年(明治10)東京大学医学部予備門に入学するが、病気のため中退。のち実業家を志し大阪商法会議所の書記見習、農商務省の官吏となるが、長続きせず、挫折(ざせつ)と放浪のときを過ごす。87年政治小説『女子参政蜃中楼(しんちゅうろう)』を発表、文壇に迎えられ、死に直面した若妻の心理を克明に描いた『残菊』(1889)、『おち椿(つばき)』(1890)、『小舟嵐(おぶねあらし)』(1890~91)など主観的傾向の強い作品を多く発表する。95年になると一転写実的手法に転じ、深刻(悲惨)小説『変目伝(へめでん)』『黒蜥蜴(くろとかげ)』『亀さん』を発表、96年には心中物の傑作『今戸心中』『河内(かわち)屋』のほか、『重(かさね)づま』(1898)、『もつれ糸』(1899)、『目黒小町』(1900)などで、愛欲のもつれと人間の怨念(おんねん)を追求した。また『雨』(1902)では庶民の貧しい生活をリアルなタッチで描いてみせるなど、硯友(けんゆう)社同人でありながら、その存在は異彩を放ち、その文学世界は今日なお多くの問題点と可能性を含んでいる。昭和3年10月15日死去。作家の広津和郎(かずお)は次男。[尾形国治]
『『明治文学全集19 広津柳浪集』(1965・筑摩書房) ▽『定本 広津柳浪作品集』二巻・別巻一(1982・冬夏書房)』

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世界大百科事典内の広津柳浪の言及

【今戸心中】より

広津柳浪の短編小説。1896年(明治29)《文芸俱楽部》に発表。…

【深刻小説】より

…死,貧窮,病苦などがもっぱら描かれる。代表的な作家は,広津柳浪で,《黒蜥蜴(くろとかげ)》《亀さん》(以上1895),《今戸心中》《河内屋》(以上1896)など,人生の悲惨を好んでとりあげた。《今戸心中》は名作として名高い。…

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