精選版 日本国語大辞典 「広瀬武夫」の意味・読み・例文・類語
ひろせ‐たけお【広瀬武夫】
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明治期の海軍軍人で,日露戦争の軍神とされた。大分県生れ。1889年海軍兵学校卒業(第15期),97年ロシア留学,次いで同駐在武官,少佐となり,1902年帰国,戦艦〈朝日〉水雷長。日露開戦後第1回旅順閉塞隊に参加。第2回にも福井丸を指揮して参加し,乗船がロシア駆逐艦の魚雷と自爆によって沈没しかかり,退船しようとしたとき,上等兵曹杉野孫七がいないのに気づき,単身船内を捜索ののち端舟に移り引き揚げるとき,砲弾の直撃をうけ一片の肉片を残しただけで戦死した。果敢な作戦への2度の参加と部下思いの真情が報じられると軍神広瀬中佐の名はたちまちに高まり,文部省唱歌《広瀬中佐》は永く愛唱された。
執筆者:大江 志乃夫
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(田中宏巳)
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…なかでも八幡大神は源氏の人々が格別の崇敬を払ったことから,最も広く軍神として崇拝されてきた。【大原 康男】
[近代日本の軍神]
戦死した軍人のなかでとくに軍人のかがみとして神格化された存在で,日露戦争時の海軍の広瀬武夫中佐,陸軍の橘周太中佐がその最初であるが,一般兵士に軍神の称が冠せられたことはない。1869年(明治2)に東京九段に招魂社(1879年に靖国神社と改称し別格官幣社に列した)が創建され,戊辰戦争以来の官軍の従軍戦没者全員が祭神として合祀されて以後,従軍戦没者はすべて靖国の神として祭られることになった。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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