日本大百科全書(ニッポニカ) 「庄和」の意味・わかりやすい解説
庄和
しょうわ
埼玉県東部、北葛飾郡(きたかつしかぐん)にあった旧町名(庄和町(まち))。現在は春日部市(かすかべし)の北東部を占める地域。旧庄和町は1964年(昭和39)町制施行。2005年(平成17)春日部市に合併。東は江戸川、西は中川(庄内古川)に挟まれた地域で、旧町域東部は台地、西部は沖積低地が広がる。東武鉄道野田線、国道16号がそれぞれ東西に、西部を国道4号が南北に通じている。低湿な土地であったが、江戸初期の利根(とね)川の改修、江戸川の開削により水田地域となり、今日でも県東部水田地帯の有力な一角をなす地域である。かつて江戸川水運が盛んであったころは、宝珠花(ほうしゅばな)や西金野井(にしかなのい)の河岸(かし)があり、にぎわいを呈した。ハウス園芸によるナス、キュウリ、イチゴの栽培が盛んで、花卉(かき)の生産も行われている。南東部の中野地区に庄和工業団地が造成されている。5月3、5日に江戸川の堤防で行われる宝珠花の大凧揚げ(ほうしゅばなのおおたこあげ)は有名で、国の選択無形民俗文化財になっている。
[中山正民]
『『庄和町之百年』(1975・庄和町)』