鎌倉末期,建長寺造営のために元に派遣された幕府公許の貿易船。当時は建長寺造営料唐船と呼ばれた。鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて,社寺造営の費用を調達するために,幕府が認めた貿易船が次々に元へ派遣された。建長寺船は,現在知られている中ではその最初のものである。1325年(正中2)7月,博多を出航し,9月に元に到着した。《広瀬文書》によると,同年7月21日から8月5日まで同船の警固をすることが,筑前国御家人中村孫四郎に対して命じられている。26年(嘉暦1)6月,幕府が建長寺住持として迎えた清拙正澄らの元僧をのせて元を出発し,高麗を経由して,同年8月博多に到着した。《比志島文書》によると,同年9月4日薩摩守護代酒匂本性(さかわほんしよう)は,御家人比志島忠範に対して,同国地頭御家人が同船船載物を京都へ運送する兵士役として参勤せよという幕府の命令を伝えている。
執筆者:佐伯 弘次
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
1315年(正和4)に火災にあった建長寺の造営費捻出(ねんしゅつ)を主目的に、鎌倉幕府の後援を受けて元(げん)に渡航した商船。史料には「建長寺造営料唐船」などとみえる。1325年(正中2)7月ごろ出航し、翌年9月ごろに帰国した。幕府が航海の警固、帰国後の舶載品運送などを、九州地方の地頭御家人(じとうごけにん)に命じていることが知られる。つまり、幕府が渡航を公認し、保護を加えることの見返りとして、帰国後に貿易で得た利潤のうち一定の額を建長寺造営費にあてさせたものであろう。これ以後に続く関東大仏料唐船、天竜寺(てんりゅうじ)造営料唐船(天竜寺船)などの先駆をなすものである。
[石井正敏]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...
12/17 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新