弓取式(読み)ゆみとりしき

精選版 日本国語大辞典 「弓取式」の意味・読み・例文・類語

ゆみとり‐しき【弓取式】

  1. 〘 名詞 〙 相撲で、優勝力士が弓を賞として受け取る際の儀式。現在では、場所中、毎日結びの一番の勝ち力士に与える弓を、弓取式の作法を心得た力士が代わりに受け取って行なう。この儀式は相撲(すまい)の節(せち)の時の「勝ち舞い」の故実に基づくとされ、元亀元年(一五七〇織田信長が行なった上覧相撲の際の第一の勝者宮居眼左衛門に重籐の弓を与えたのが起源とされる。弓の式。弓取り

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改訂新版 世界大百科事典 「弓取式」の意味・わかりやすい解説

弓取式 (ゆみとりしき)

相撲興行において,一日の取組が終わると,あらかじめ定められた幕下の力士が出場し,行司から弓を受け,これを手にして土俵上で左右に縦横に振り回し,勇壮に〈しこ〉を踏む儀礼。これは勝力士の喜びを表現する意味がある。平安時代の相撲節会すまいのせちえ)のとき,相撲取組の終わったあと,勝ったほうの左右いずれかの近衛側から舞人が登場して弓をとって立合舞(たちあいのまい)を演じた。これが弓取式の起源だといわれているが,勝力士にほうびとして弓を与えることは織田信長のときから始まった。江戸時代勧進相撲になってこのしきたりが復活し,相撲興行の最終日(千秋楽)に,最後の三番(結びの三番という)をとった三役の勝力士に対し,大関にかなう者に弓,関脇にかなう者に弓の弦,小結にかなう者に矢1対を与えるようになった。弓を授与された大関の勝力士で,土俵上で弓を振った者として記録に残っているのは寛政年間(1789-1801)の谷風梶之助が最初で,当時は儀式化せず単に弓取といった。寛政年間の半ばころから,千秋楽に幕内力士が出場せず,二段目幕下以下の取組が行われるようになったため,前日に勝った大関力士に代わって幕下の力士が弓取を行い,これがしだいに儀式化して弓取式の形態が生まれ,五穀豊穣天下泰平を祈願する意味がつけ加えられた。1909年6月国技館が完成し,千秋楽に幕内力士も出場するようになったが,弓取式は幕下力士が代行する習慣が続き今日に及んでいる。52年1月場所からそれまで千秋楽に行ってきた弓取式を毎日行うようになり,三役の勝力士に弓,弦,矢を与えることは千秋楽にだけ行うことにした。弓取式は,本場所,花相撲,引退相撲をとわず,また地方巡業で興行日数が1日しかない場合でも行われている。
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百科事典マイペディア 「弓取式」の意味・わかりやすい解説

弓取式【ゆみとりしき】

相撲興行において,1日の最後の取組の勝力士に賞として与えられる弓を代人の幕下力士が受け取り,土俵上で縦横に振り回し四股(しこ)を踏む儀式。平安時代の相撲節会(せちえ)で,勝者の近衛側から舞人が登場し,弓を取って立合舞を演じたのが起源とされ,勝力士に弓を与えることは織田信長に始まる。江戸の勧進相撲では千秋楽の結びの3番の勝力士に,大関相当者に弓,関脇相当者に弦,小結相当者に矢1対を与えるようになった。のち次第に儀式化し,1952年1月場所からは毎日弓取式が行われることになった(三役の勝力士に対する弓,弦,矢の授与は千秋楽だけ)。
→関連項目

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「弓取式」の意味・わかりやすい解説

弓取式
ゆみとりしき

相撲興行で1日の取組が終了したとき,決められた力士が行司から弓を受け,これを土俵上で操り,四股を踏む儀式。江戸時代,相撲興行の最終日 (千秋楽) には,最後の勝負に勝った力士に対し弓を与えていた。それが横綱谷風梶之助ののちは幕下の力士が代理で弓を受けることになり,次第に儀式化して,現代のような弓取式の形態となった。 1952年1月場所以後,千秋楽にだけ行なってきた弓取式を毎日行なうようになった。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「弓取式」の意味・わかりやすい解説

弓取式
ゆみとりしき

相撲

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