弓場始(読み)ゆばはじめ

精選版 日本国語大辞典 「弓場始」の意味・読み・例文・類語

ゆば‐はじめ【弓場始】

〘名〙
① 平安・鎌倉時代に宮中弓場殿で行なわれた弓術始めの儀式天皇公卿以下殿上人の賭弓(のりゆみ)御覧になる。陰暦一〇月五日に行なわれるのが例であったが、延期されて一一月、一二月になることも多かった。射場(いば)始め。《季・冬》
九暦‐九暦抄・天暦元年(947)一一月三〇日「弓場始、主上先射給当的事」
武家で、年初または弓場の新造などの時、初めて射を試みる儀式。的始め。弓始め
吾妻鏡‐建長四年(1252)一一月一八日「来廿一日於新造御所御的始〈略〉可御弓塲始

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改訂新版 世界大百科事典 「弓場始」の意味・わかりやすい解説

弓場始 (ゆばはじめ)

武家の歳首の年中行事。弓始,的(まと)始ともいう。流鏑馬(やぶさめ),笠懸,犬追物などのような騎射に対して,正月に催される弓矢の行事の多くは,歩射つまり徒歩で矢を射た。正月に行われる矢弓行事は,練武のためというよりも,年初の吉凶を卜し,邪鬼を払う呪術的な信仰があったものと思われる。弓場始は朝廷における射礼(じやらい)にならったものだが,弓矢の行事であるだけに,とくに武家社会に発達をみた。鎌倉幕府の成立とともに,弓場始は武家儀礼としての性格を新たにし,おおむね正月中の10日前後を選んで行い,射手は6人または10人,ときには12人を左右に番(つが)い,それぞれ10回ずつ射させ,将軍も親しくその式に臨んだ。射手は風折烏帽子に直垂(ひたたれ)をつけ,今日行われている弓道のように,墨で輪を描いた的を射た。この儀は室町幕府にも的始として受けつがれ,足利義満将軍期ごろには式日も正月17日に定められ,幕府の歳首における重要な年中行事の一つとなった。諸大名や直轄軍の御家人等が参集し,将軍出御のもとに行われる的始において,射手に選ばれることは家門の名誉・面目と考えられた。応仁の乱後,幕府諸儀礼の衰退とともに的始も公式儀礼としての意義は失われるが,形式的には将軍周辺で小笠原氏らの幕府弓馬故実家によって室町末期まで行われたもようである。戦国期における鉄砲の伝来・普及とともに武器としての弓矢の比重が急速に下降し,これにともなって弓場始の意義もうすれ,安土桃山時代には公式儀礼としての弓場始の存在は認められない。さらに江戸幕府においても,これが幕府の公式儀礼として復活されるのは,8代将軍徳川吉宗の享保年間(1716-36)のことで,その後,毎年正月11日を弓場始の式日として幕末まで伝えられた。なお,民間において正月15日前後に的・弓祈禱,射礼神事などと称して行われる歩射も弓場始の影響と考えられる。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「弓場始」の意味・わかりやすい解説

弓場始
ゆばはじめ

10月5日、天皇が弓場殿に出られ、弓の競技をご覧になる儀式。明年正月の賭弓(のりゆみ)の準備のために、前年の10月に射場(いば)開きをした。また、射場始ともいう。弓矢を天皇の御座の左右に立て、その成績によって射分銭や絹を賞として賜る。これは、中国の『礼記(らいき)』にある、天子が将師に命じて武を習わせるために射を行ったということを、わが国に取り入れて始まったとされる。10月3日に左右衛門が堋(あずち)(垜とも書く。土を塀状に築き、弓の的を描いたもの)を弓場に設け、当日は公卿(くぎょう)以下、束帯姿で弓射を行う。鎌倉・室町時代には弓始、的始と称した。

[山中 裕]

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