江戸期の城。青森県弘前市弘前公園にある。戦国末期、大浦(おおうら)城、堀越(ほりこし)城を根拠として津軽地方を平定した津軽為信(ためのぶ)は、関ヶ原の戦いによって地歩を固め、高岡(弘前の旧名)への移転を計画したが途中で没した。その遺志を継いだ三男の信牧(のぶひら)が1610年(慶長15)に着工し、翌年完成させている。城の周囲は西を岩木川、東を土淵(つちぶち)川が流れ、東西615メートル、南北950メートルで約48万平方メートルの広大な地域に本丸以下七つの曲輪(くるわ)を配し、天守閣をはじめ、櫓(やぐら)8、城門12で固める大掛りな城であった。高岡を弘前に改称したのは1628年(寛永5)といわれる。津軽氏が幕末まで世襲した。1627年五層の天守閣に落雷を受け焼失し、しばらくそのままであったが、1810年(文化7)三層櫓を改築して天守閣とした。これが現存の天守閣であるが、ほかに辰巳(たつみ)櫓、未申(ひつじさる)櫓、丑寅(うしとら)櫓、大手門、南内門、東内門、東門、北門(別名亀甲(きっこう)門)が残る。本丸、二の丸、三の丸、北の丸の塁濠(るいごう)はほとんど往時のままで貴重である。
[小和田哲男]
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…秋田県境に源を発する岩木川が市街地の西部を北流し,支流の土淵川が市街地を貫流している。市街地は洪積台地の末端に築かれた弘前城を中心として台地上に展開し,一部は沖積平野にもおよんでいる。弘前藩2代藩主津軽信枚(のぶひら)が築城してから城下町として発展し,津軽地方の政治・経済・軍事の中心となってきた。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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