翻訳|topaz
和名を黄玉という。鉱物の一種。黄玉の名の通り,黄色トパーズは宝石としての価値を有するが,無色透明であることが多い。化学成分Al2SiO4(F,OH)2。形態は斜方晶系の柱状。モース硬度8,比重3.5~3.6。ペグマタイト,高温石英脈,花コウ岩や流紋岩の晶洞に産するが,ブラジルの黄色トパーズはこれらより低温の熱水性である。日本の産地としては岐阜県苗木および滋賀県田上山の花コウ岩ペグマタイトが有名。世界最大のトパーズはブラジル産で80cm×60cm×60cm,300kgに達し,ニューヨークの自然科学博物館にある。日本最大のものは7.5cm×10cm×15cm(苗木),8.4cm×6.4cm×5.1cm(田上山)である。日本産の大きなものは20世紀初頭に採集されたもので,現在は採集できても小さなものである。産地の違いによってOH/Fの量比が変化し,それにつれて比重や屈折率などの物理的性質も変わる。OHとFの秩序配列およびO-H結合の配向性で対称性が三斜晶系まで低下するものがある。
執筆者:秋月 瑞彦
紅海のセント・ジョン島からペリドットperidot(カンラン石(オリビン)の一種フォルステライトの宝石種)が産出するが,古い時代にはこの石がトパーズと呼ばれ,現在のトパーズとの混同があった。トパーズはAl2SiO4(OH)2の成分をもつ水酸基(OH)タイプと,Al2SiO4(F)2のフッ素(F)タイプの二つに大別される。宝石として価値の高いのは,色が美しくまた永久性のある水酸基タイプのインペリアル・トパーズで,やや赤みを帯びた暖かい黄色をしている。そしてこの黄金色の石は熱処理によりピンク色に変わる。インペリアル・トパーズはブラジルのミナス・ジェライス州オウロ・プレト地区が世界唯一の産地で,屈折率は1.629~1.637と高いが,比重は3.50~3.54と低い。無色,青色およびブラジル産以外の黄色ないし褐色のトパーズはフッ素タイプで,屈折率は1.610~1.620と下がるが,比重は3.56~3.57と高い。フッ素タイプのトパーズは,着色中心による着色をするため色の耐久性は不安定である。また放射線による無色の石の人工処理による着色も行われる。
執筆者:近山 晶
大プリニウスの《博物誌》(第37巻)によると,岸から300スタディオン(約50km)ほど離れた紅海の真ん中にトパゾス島という島があり,昔から多くの航海者によって探索されているが,その付近は霧が深いため,なかなか発見されるにいたらない。トログロデュタイ(穴居エチオピア人)の言葉で〈探索する〉ことを〈トパージン〉というが,この島の名前はそれに由来している。プトレマイオス2世の母たるベレニケ王妃の命により,この島から初めて1個のトパーズ(ただしこれは現在ペリドットと呼ばれているもの)がエジプト王家に将来されたのは前3世紀のことだった。トパーズはいたく王を喜ばせ,王はこの宝石で2mにおよぶ妻アルシノエ2世の像をつくらせて,アルシノエ神殿と名づけた聖域にこれを奉納した。このプリニウスの話に出てくるトパゾス島というのは,たぶんセント・ジョン島ではないかといわれている。なお,トパーズは大きな塊で発見されるので,このアルシノエの像も単一のトパーズの塊からつくられたものと考えられる。
執筆者:澁澤 龍
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
黄玉(おうぎょく)あるいはトパズともいう。斜方柱状の結晶をなすことが多く、柱の方向に平行な条線がよく発達する。透明のことが多いが、分解すると白濁する。花崗(かこう)岩質ペグマタイト中の晶洞に、石英、長石、雲母(うんも)などを伴い美しい結晶を産する。日本では岐阜県苗木地方と滋賀県田上山(たのかみやま)のものが明治時代から有名。ただ濃色のものが少ないため宝石として利用されることはあまりなかった。ブラジルをはじめ世界的に産地は多い。ほかに、気成鉱脈、流紋岩の空隙(くうげき)中に結晶を産する例がある。また熱水鉱床の母岩の変質物や粘土中に微細な結晶の塊状集合として産する。なお、シトリン・トパーズというのは水晶を熱処理して黄色のトパーズにみせかけたものである。またオリエンタル・トパーズというのは黄色のサファイアのことである。英名はギリシア語のTopazionから由来するが、これは紅海にある島の名前である。11月の誕生石となっている。
[松原 聰]
トパーズ
英名 topaz
化学式 Al2SiO4(F,OH)2
少量成分 ―
結晶系 斜方
硬度 8
比重 3.6
色 無,黄,青,桃
光沢 ガラス
条痕 白
劈開 一方向に完全
(「劈開」の項目を参照)
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…そして仏独英3ヵ国語版が製作されたドライヤーのトーキー第1作《吸血鬼》(1931)は興行的に失敗するものの,〈音の対位法〉を探求したクレールのトーキー第1作《巴里の屋根の下》(1930)はフランスの〈トーキー映画の宣言〉となり,また,クレジットタイトルを画面に文字で出す代わりにすべて音声化,すなわち朗読してしまうというトーキーならではの試みを実現したレルビエ監督《黄色の部屋》(1930)などの成功をへて,フランス映画はトーキー時代に入る。 この時期に注目されるのは,マルセル・パニョルとサッシャ・ギトリー(ギトリー父子)という2人の演劇人の活躍で,とくにパニョルは,自作の戯曲がまずアレクサンダー・コルダ監督によって(《マリウス》1931),次いでルイ・ガスニエ監督によって(《トパーズ》1932),そしてマルク・アレグレ監督によって(《ファニー》1932)映画化されたのに刺激され,33年には映画雑誌《レ・カイエ・デュ・フィルム》を創刊し,サイレント映画がパントマイムの具象化であり完成であったのに対して〈トーキーは演劇の具象化であり再創造である〉という独特のトーキー映画論を展開,自分の映画会社を創立し,マルセイユに撮影所を建設して,みずから製作・監督に乗り出し,《アンジェール》(1934),《セザール》(1936),《二番芽》(1937),《ル・シュプンツ》《パン屋の女房》(ともに1938)等々を映画化,レーミュ,フェルナンデルといった南フランスのマルセイユなまりの名優に成功をもたらした。同じころパリでは〈芝居の神さま〉といわれたブールバール劇の作者であり演出家であり俳優であるサッシャ・ギトリーも自作の戯曲を次々に映画化し,《とらんぷ譚》(1936),《王冠の真珠》(1937)等々で徹底的な話術,〈語り〉の芸で映画に新形式をもちこみ(のちにオーソン・ウェルズに強い影響を与えた),パニョルとともに,フランス映画史に特異な地位を占めるに至った。…
※「トパーズ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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