日本近世において,大名以下に賦課される軍役,普請役の量は石高を規準として定められたが,これを役高という。領知・知行高がすなわち役高である場合と,これとは別に設定される場合とがあった。この役高に応じ扶持米(ふちまい)や合力米が支給された。例えば1681年(天和1)越後高田城の請取役を命じられた表高(領知朱印高)10万石の越中富山藩主前田正甫(まさとし)は7万石の役高で勤めるよう指示され,105人分の扶持米を受け取っている。また毎年交代で大坂城を守衛する大坂加番役の場合,はじめは大名の領知高に応じて役高が決められていたが,1746年(延享3)に四つの部署ごとに役高が定められ,合計6万5000石に固定された。加番大名には役高の四つ物成(よつものなり)(4割)の合力米が支給されていた。このほか足高(たしだか)制における各役職の基準石高を役高ということもあり,また永高(えいだか)を用いていた遠江,三河の一部地域では,永1貫文を5石とする諸掛物(しよかかりもの)の賦課基準を役高と称した。
執筆者:松尾 美恵子
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