江戸幕府において,役付幕臣の知行俸禄の高が各役職の基準石高に及ばない場合,その差額を加給したことをいう。当初,役についた者に対する特別の給与はなかったが,その経済的窮乏にともない,1665年(寛文5)から翌年にかけ,それぞれの役に応じた役料が支給されることになった。この制度は82年(天和2)在職者に役料の分を加増していったん廃止されたが,元禄期(1688-1704),一部の役職に再び役料が支給されるようになり,92年には各役職の基準の高を定め,禄高が基準に達しない役人に対してのみ一定額の役料が与えられることになった。さらに1723年(享保8)あらためて御側衆以下各役職の基準石高(役高)を設け,禄高が役高に不足する分を支給する足高の制度が定められた。なお役職によっては役料も支給された。足高制の実施で小身の者を要職に登用することが容易になり,幕臣の官僚化が進んだ。
執筆者:松尾 美恵子
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1723年(享保8)江戸幕府が制定した一種の役料。原則として大名の役職は対象外であるが、幕府の主要な役職について、それぞれ相当する俸禄(ほうろく)の基準を設定し、その役職に勤める者の家禄が基準に満たない場合、在職中に限りその基準額まで加給する制度。これによって幕府は加増による世襲家禄の財政負担の増大を回避しつつ、人材登用が可能になり、要職に抜擢(ばってき)された者も、在職中は相応の収入が得られるので、昇進による諸経費負担の増加に堪えられるようになったが、役職者の収入における世襲家禄の比重を低下させ、封建的俸禄制度を変質させる改革であった。足高の支給の対象は、この後1724年、31年、38年(元文3)と拡大されていった。
[辻 達也]
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…その後82年(天和2)在職者に役料の分を加増し,役料支給をいったん停止したが,89年(元禄2)より一部の役職就任者に再び役料を給するようになり,92年各役職の基準石高を定め,持高がこれに及ばない場合に一定の役料を与えることとした。この制度が発展して1723年(享保8)に足高(たしだか)制が制定されたが,遠国(おんごく)役人などには足高に加えて役料も支給された。なお役料は切米(きりまい)と同じく春,夏,冬の3季に米金で給与された。…
※「足高」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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