後瀬山城跡(読み)のちせやまじようあと

日本歴史地名大系 「後瀬山城跡」の解説

後瀬山城跡
のちせやまじようあと

[現在地名]小浜市伏原・男山

後瀬山の山頂稜線にある中世末期の山城跡。大永二年(一五二二)若狭守護武田元光の築城(若狭郡県志)。元光の父元信の代まで、武田氏は若狭・安芸および名目上は丹後守護も兼ねるかなりの勢力であったが、永正四年(一五〇七)の丹後侵攻で敗退、同一四年に一族の重臣逸見氏が丹後守護代と語らい反乱を起こす(御内書案)など、元光が家督を継いだ頃は内外ともに緊迫した状況にあった。従来の防備では対処できず、より強固な要害として当城を築城した。「数千人の人数を以て石垣を築、櫓を建て要害を構え玉ふ、是は武田殿居城平城なるに依て軍用のため今如是」と「若狭国伝記」は記している。

城は山頂に主郭を置き、南北五〇〇メートル、東西三五〇メートル、主郭から先端郭までの比高一一八メートル。東西斜面はかなり急で、とくに伏原ふしはらに面した東側が険しい。したがって城郭は西側に集中し、東では竪堀が一条みられるのみで郭はない。北側先端郭は八幡神社裏山にあり、それより順次階段状に上部へ一七郭を造り主郭に至る。主郭は山頂を削平して造成、南北九〇メートル、東西三〇メートルと当城で最も広い郭を形成し、三段構えで上二段の周囲は石垣積みである。南側は急激に一〇メートル下降して幅二〇メートルの空堀を設けて西郭を造り、南・西にL字状の土塁、郭の南下に連絡路を付けている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「後瀬山城跡」の解説

のちせやまじょうあと【後瀬山城跡】


福井県小浜市伏原にある城跡。城は小浜湊の背後にそびえる標高168mの後瀬山にあり、1522年(大永2)、若狭守護・武田元光によって築かれた。武田氏滅亡後、豊臣政権下にあっても重臣たちが配されたが、1600年(慶長5)に入城した京極高次が新たに小浜城を築城したことにともない廃城となった。守護館は城の北麓に東西110m、南北120m(堀を含む)を占め、東・北・西の三方に2重の塁濠を連ねる堅固な城館であったと伝えられる。城は山頂に主郭を、館を取り巻く各稜線に郭群を配し、巨大な竪堀群と畝(うね)堀、空堀と土橋、稜線の郭群を相互に繋ぐ横道や城道の備えなど、万全の戦闘配備をほどこし、歴史上貴重な資料を提供していることから1997年(平成9)に国の史跡に指定。遺物には青磁白磁染付、瀬戸・美濃などの陶磁器、朝鮮製陶器(船徳利の底)、香炉、火桶、坩堝、粉引の痕跡をもつ丸瓦や平瓦などがある。JR小浜線小浜駅から徒歩約10分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

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