室町幕府の将軍または室町殿(義満以降の政務権者)が公式に発給する御教書(みぎようしよ)以外に,直状で内々に出す書札。御教書には,御判御教書,管領奉書,頭人奉書,奉行人奉書,伝奏奉書,奉行奉書などがあるが,このような公式文書を発するまでもない軽易な事項,緊急を要する事項,超権的な処分,あるいは将軍,室町殿の私用には,御内書を用いた。足利尊氏からはじまり,義満のころには比較的よく用いられるようになり,やがて公式文書化して,義晴,義輝,義昭の代には重要な政治工作文書として盛んに用いられた。御内書の様式は一般の書札となんら変わらない。まず本文を書き,本文の終わる次行上段に日付,下段に差出書,日付次行に宛名を書く。日付は,その扱われる内容上,年号をもたない月日のみで,差出書,宛名書の形式,書留文言は書札礼によって定まる。公証公験としての性格は薄いが,将軍,室町殿の直状であるだけに,直筆であったり,政治的に重要な内容のものが含まれていたりする。
執筆者:富田 正弘
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南北朝~江戸時代に将軍が出した文書(もんじょ)の名称。書状形式の将軍の直状(じきじょう)で、最初は将軍自身の私用の文書として用いられることが多かったが、やがて将軍の公用文書となった。日付、差出書、充所(あてどころ)は書状と同一様式であるが、普通の書状では本文の書止めを「恐々謹言(きょうきょうきんげん)」とすべきところを、御内書は「也(なり)」で切るか、そのあとに「状如件(じょうくだんのごとし)」をつける。しかし書状のなかにも、書止めが「状如件」のものがあることなどから、実際には、書状との区別はかならずしも明確ではない。この文書形式を初めに使用したのは足利尊氏(あしかがたかうじ)で、軍勢催促や恩賞給与などに用いている。よく用いられるようになったのは足利義満(よしみつ)のころからで、代々の足利将軍、徳川将軍も使用したが、とくに戦国時代の将軍足利義晴(よしはる)、義輝(よしてる)、義昭(よしあき)の代には盛んに出された。御内書には通例、将軍の侍臣の副状(そえじょう)をつける。
[清水久夫]
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室町幕府で将軍から直接出された直状(じきじょう)の形式をとる文書。本文の最後が「○○也」で終わり,宛名が「某とのへ」となる形式と,「○○也,状件(くだん)の如し」などで終わり,宛名が「某殿」となる形式がある。後者のほうが丁寧である。本文のあとに月日と将軍の花押が書かれる。年号が書かれないのは一般の書状と同じ。最初は私用に使われることが多かったが,やがて公用にも使われた。江戸幕府でも,室町幕府とほぼ同じ書式で歴代将軍による御内書が発給された。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…ただし直状といっても多くは右筆書であり,花押や自署さえ必ずしも自筆とは限らない。足利将軍,室町殿の発給する直状としてはこのほかに御内書(ごないしよ)があるが,武家の政治文書としては御内書は非公式な文書であって,書状に近く日付に年号を付さない。これに対し御判御教書は必ず書下(かきくだし)年号とする点で御内書と決定的に異なる。…
…それとともに公家・寺社の間にも御教書(みぎようしよ)が行われるようになり,武家においても関東・六波羅・鎮西の御教書が用いられた。室町幕府にあっては,その制度的完成をみた足利義満以降は,前代の下文・下知状に代わって御判御教書・御内書が最高の権威を有するものとなり,管領奉書以下の書札様文書が幕府の中心的な文書となった。書札様文書は書札から出発したものであるから,行書体で書かれるのが普通である。…
※「御内書」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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