出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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1711.12.21~61.6.12
江戸幕府9代将軍(在職1745.11.2~60.5.13)。8代吉宗の長男。母は側室深徳院。弟に御三卿田安家の始祖宗武(むねたけ),一橋家の始祖宗尹(むねただ)がいる。幼名長福丸。法号惇信院。1724年(享保9)世子。45年(延享2)将軍職を継いだ。生来病弱で若い頃から酒色にふけり,健康を損ない言語機能に障害もあった。小姓の大岡忠光のみがその意を解し,側用人にまで出世した。ただ家重は「将棋考格」の著作もなしたほどの将棋上手だったという。在世中は享保の改革の延長で表面上,幕府財政は安定していたが,全国各地で百姓一揆が頻発。60年(宝暦10)長男家治(いえはる)に将軍職を譲り,翌年没した。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
(松尾美恵子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
江戸幕府第9代将軍。8代将軍吉宗(よしむね)の長子。生母は側室大久保氏、おすまの方。幼名長福。1745年(延享2)父の譲りを受けて将軍となる。生まれつき虚弱のうえ、若くから大奥の婦女を相手に酒宴にふける生活を続け、健康を害し、やがて言語も不明瞭(めいりょう)となり、わずかに側用人(そばようにん)大岡忠光(ただみつ)のみ聞き分けることができたという。1760年(宝暦10)職を嫡子家治(いえはる)に譲り、翌年没した。法号を惇信院(じゅんしんいん)という。家重の代は、享保(きょうほう)の改革の余光で幕府財政は表面上安定の様相を呈していたが、社会の底流には新しい時代への転機があった。
[辻 達也]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
…大岡忠相の同族大番士忠利(300石)の長子。世嗣徳川家重の小姓となり,のち家重が9代将軍になるとしだいに重用され,1754年若年寄,56年側用人となり,この間加増されて武州岩槻2万3000石の領主となる。家重の信頼とくに厚く権勢を集めるが,おごることがなかったといわれる。…
※「徳川家重」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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