長野県西部,松本市の旧安曇村島々から上高地へ至る登山道にある峠。標高2135m。1933年梓川沿いの車道ができるまで,信州側から上高地に入るために利用された。古くは北アルプス(飛驒山脈)に入る猟師や,松本藩有林であった梓川流域の山林をきる杣人(そまびと)は,徳本峠を越えて上高地に入った。明治に入って,近代登山が始まるとともに穂高連峰,上高地の眺望のよいこの峠が有名になり,上高地を紹介したW.ウェストンや日本山岳会を結成した小島烏水(うすい),志賀重昂(しげたか)などの登山家もここを越えている。明治中ごろから昭和初めに上高地にあった牧場で放牧された牛もこの峠を通った。毎年6月初旬,上高地で北アルプスの山開きであるウェストン祭が行われるが,参会者は島々から徳本峠を越えて入山するならわしになっている。
執筆者:市川 健夫
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長野県西部、北アルプスの霞沢岳(かすみざわだけ)東方にある峠。標高2135メートル。1933年(昭和8)に梓(あずさ)川に沿う車道ができるまでは、松本方面から上高地(かみこうち)へ入る登山道であった。近世から森林伐採人夫や飛騨(ひだ)(岐阜県)への旅人の通路であり、北アルプスの近代登山が始まった明治10年代からは登山者に親しまれた。日本アルプスの名を世界に紹介したウェストンは1891年(明治24)峠からの穂高(ほたか)連峰の夕方の景観に感激の涙を流したといわれる。峠には徳本峠小屋があり、松本電鉄新島々(しんしましま)駅から島々谷沢をさかのぼって峠まで約7時間の行程で、上高地側の明神(みょうじん)池からは約2時間で達することができる。
[小林寛義]
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…針ノ木峠(2541m),ザラ峠(2353m)は,それぞれ後立山,立山山脈中の鞍部であり,1584年佐々成政の両峠越えで名高い。上高地西の中尾峠(2080m),東の徳本(とくごう)峠(2135m)は天保年間(1830‐44)から飛驒街道が通っていたところであり,梓川沿いの道路が1933年開通するまでは上高地への入山者はたいていここを通った。 内外の著名な峠は,いずれも歴史的な意味をもつか眺望にすぐれているかであり,人文活動と山との目だった接点ともいえる。…
※「徳本峠」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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