出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
大阪市中央区南部を南北に通じる街路。心斎橋から南へ戎橋(えびすばし)に至る約750メートルをいう。心斎橋は旧長堀(埋立て。駐車場)に架かっていた橋で、現在は、1909年(明治42)に架け替えた石造のアーチ橋が陸橋として残っている。元和(げんな)年間(1615~1624)に伏見(ふしみ)の町人岡田新三心斎らが長堀を掘削、1662年(寛文2)自分の屋敷の前に橋を架けたのが心斎橋であるといわれている。心斎橋筋は、堀江、新町の待合、料亭と、道頓堀(どうとんぼり)の芝居町とを結び、最初北詰(きたづめ)が栄えたが、明治以後は南詰が繁栄した。1937年(昭和12)地下鉄御堂筋線(みどうすじせん)が通じ、1996年(平成8)に地下鉄長堀鶴見(つるみ)緑地線が開通した。大丸、そごうデパート(2009年閉店)を中心とした都心商店街が発展し、洋品雑貨、貴金属、楽器などの専門店が多い。また、アメリカ村、ヨーロッパ通りは若者の街としてにぎわっている。
[安井 司]
大阪市中央区にある街路で,大阪を代表する都心商店街。御堂(みどう)筋のすぐ東側を北の心斎橋から南の戎(えびす)橋まで南北約700mの間に,大丸,そごうのデパートをはじめ,呉服,紳士服,洋品雑貨,時計・貴金属,美術工芸などの専門店が並び,最近は若者相手の店舗も増加している。17世紀後半,船場と島之内との間を流れる長堀川に心斎橋が架設され,北の土佐堀川から心斎橋を通って南の道頓堀川に至る街路(豊臣秀吉の大坂城築城時につくられた)が橋の名にちなんで心斎橋筋と呼ばれるようになった。心斎橋筋は大阪の代表的な遊郭の新町から,芝居・見世物小屋の並ぶ道頓堀に至る道筋として発展し,江戸初期に買物街としてにぎわっていた橋の北の順慶町付近からしだいに繁栄の中心が南の心斎橋筋へと移った。1964年の長堀川埋立て後,心斎橋は横断歩道橋として保存されている。
執筆者:服部 昌之
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