心理人類学(読み)しんりじんるいがく(英語表記)psychological anthropology

改訂新版 世界大百科事典 「心理人類学」の意味・わかりやすい解説

心理人類学 (しんりじんるいがく)
psychological anthropology

文化人類学における一分野。かつて〈文化とパーソナリティculture and personality〉論と呼ばれていた研究領域が拡大・展開されたのに伴い,新しく提案された学問名称。1961年F.L.K.シュー(許烺光)が,《心理人類学Psychological Anthropology》という表題の論文集を編纂し,それ以来,この名称がよく用いられるようになった。78年には,アメリカ人類学会の下部機構の一つとして心理人類学会が組織され,《エトスEthos》という機関誌が刊行されるに至った。心理人類学は,認識人類学,教育人類学などとも密接に連関している。またそれは,人類学と心理学との境界領域に成立した学際的な社会科学だとも言える。この分野への心理学サイドからの接近は,異文化間心理学cross-cultural psychology,または文化心理学cultural psychologyと呼ばれている。だがそれらは心理人類学と共通した研究対象をもつ。すなわち,それぞれの社会に特徴的な生活様式・行動型としての文化システムと,その成員におけるパーソナリティ・システムの特性(人柄)との相関性の追究である。あるいは,人間の心理・文化システムpsycho-cultural systemの探究であるとも言える。

 生活様式としての文化は実在する客体であるが,それぞれの社会の成員は,ごく幼いころから当該社会の文化を学び始め,しだいに身に着けていく。この過程は文化化enculturationまたは社会化socializationと呼ばれる。これらの過程によって,文化がどのように主体としてのパーソナリティに内面化されるのか,そしてどのような特徴をもつ民族的性格national characterや社会的性格social characterが形成されるのか,この点を理論的・実証的に明らかにするのが,心理人類学の基本的課題であるとされてきた。1930年代に始まったA.カーディナー,R.リントン,C.デュボア,R.ベネディクト,M.ミード,E.フロム,C.クラックホーンらの研究は,この課題の解明を志向していたと言える。

 A.R.リンドスミスとA.L.ストラウスも言うように,初期の心理人類学は,(1)文化の統合形態cultural configurationの記述とその心理学的特徴づけ,および統合形態と連関したパーソナリティ類型の叙述,(2)所与のパーソナリティ類型を,文化の影響の所産,ことに幼少期の社会関係の所産として説明する,という作業を行っていた。こうした立場は,特定の文化的環境に置かれた諸個人の命運に関心をもちこそすれ,その人たちのパーソナリティが,文化と社会構造を維持したり,変動させたりする面への考慮が足りなかった。M.E.スパイロやシューは,むしろ後者側面に心理人類学の関心の焦点を移すべきだと主張している。最近の心理人類学は,さらに関心の幅を広げて,世界観や価値観などの民族情報の分析,文化変動における適応の問題,精神病理と文化との関連なども取り扱っている。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「心理人類学」の意味・わかりやすい解説

心理人類学
しんりじんるいがく
psychological anthropology

人間行動の背景となる心理的側面を人類学的に、すなわち現地調査法と比較法、さらには文化に対する全体的視野により解明しようとする学問分野。すでに19世紀の人類学者も心理的側面に関心を寄せており、とくにドイツなどで心理学者と人類学者の交流がみられたが、文化人類学における一つの研究領域として確立したのは、1920年代後半からフロイトの影響を受けてアメリカにおこった「文化とパーソナリティー」学派以降である。R・ベネディクトやM・ミードを中心とするこの研究は、ある文化に生まれ育つことによりいかなる心理的特性を得るかを研究するもので、世相政情とも絡んで40年代に盛んになる。しかし観察可能な人間の経験と、観察不能な内面の心理的過程との間を科学的に論証する方法論上の弱点は、心理テストなどの開発利用によっても多くの問題を残し、第二次世界大戦後の50年代からは下降線をたどる。しかしながら心理的側面の研究は新たな展開をみせ、その状況に即して名称も「心理人類学」と称されるようになる。まず、今日の人類学にとって避けて通ることのできない「文化変化」との関連において、文化の革新を促進する心理的要因の研究、文化変化に対する適応をめぐる問題、さらに千年王国運動とそれにしばしば伴われる「意識の変化態」altered states of consciousnessの研究へと発展がみられた。また知覚と認知の研究が盛んになり、シンボリズム研究隆盛のなかでエスノサイエンスが新たな分野として台頭した。一方、「文化とパーソナリティー」の流れを継承するものとしては「社会化」socializationあるいは「文化化」enculturationの研究があるが、従来のパーソナリティーから行動面レベルへと研究の重点が移っており、精緻(せいち)な観察記録法や通文化的比較研究など方法論における進展がみられる。

[横山廣子]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「心理人類学」の意味・わかりやすい解説

心理人類学
しんりじんるいがく
psychological anthropology

広義の人類学のなかで,かつて「文化とパーソナリティ」研究と呼ばれてきた専門の一分野。文化が住民のパーソナリティ形成にどのように関連しているかを研究する学問であり,国民性の研究や,精神障害と文化の関係,文化変化における心理的適応の問題,文化と認識体系などが扱われてきた。 1920年代後半,S.フロイトの精神分析学が盛んとなったアメリカで,E.サピア,R.ベネディクト,M.ミードらによる心理学的な傾向をもつ人類学研究が始った。さらに,精神分析学者 A.カーディナーと人類学者 R.リントンおよび C.デュボアを中心に,40年代には人類学者と心理学者,精神分析学者の共同調査が多くなされ,特に国民性の研究や,ロールシャッハ・テスト,TATなどを使用した研究が盛んに行われた。しかし 1950年頃から,それらのテストの有効性に対する批判がなされて,代りに学習理論や統計的手法が取入れられ,また 60年代に入ると,「文化とパーソナリティ」論では同一文化内にみられる個人差への考慮が足りないという A.F.C.ウォラスらの批判もなされて,学習,知覚,知的発達といった心理過程にまで心理人類学の領域は拡大し,従来の「文化とパーソナリティ」と呼ばれた分野はその一部となった。 73年に個人心理と社会的環境の相互関係をテーマとする雑誌『エトス Ethos』がカリフォルニア大学ロサンゼルス校の人類学者を中心に発刊され,78年にはアメリカ人類学会の下部組織として,『エトス』を機関誌とした心理人類学部会が発足。初代会長は J.ホワイティング。

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世界大百科事典(旧版)内の心理人類学の言及

【文化人類学】より

… アメリカ流の文化人類学は,前記したように総合的な人類学の一分科であるうえに,文化人類学自体も一個の総合科学と考えられている。すなわち,文化人類学は一般に,先史考古学,民族学,社会人類学,言語人類学linguistic anthropology,心理人類学psychological anthropologyなどの諸分野からなるとされるのである。こうしたアメリカにおける人類学および文化人類学のあり方は,アメリカ人類学の父と呼ばれるF.ボアズの学問傾向に由来する。…

【文化人類学】より

… アメリカ流の文化人類学は,前記したように総合的な人類学の一分科であるうえに,文化人類学自体も一個の総合科学と考えられている。すなわち,文化人類学は一般に,先史考古学,民族学,社会人類学,言語人類学linguistic anthropology,心理人類学psychological anthropologyなどの諸分野からなるとされるのである。こうしたアメリカにおける人類学および文化人類学のあり方は,アメリカ人類学の父と呼ばれるF.ボアズの学問傾向に由来する。…

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