平安前期の真言宗の僧。京都出身。入唐八家(にっとうはっけ)(唐代の中国に渡って密教を学び、日本に伝えた8人の高僧。最澄、空海、常暁、円行、円仁、恵運、円珍、宗叡(しゅうえい))の一人。848年(嘉祥1)仁明(にんみょう)天皇が皇太后のため山科(やましな)(京都府)に安祥寺(あんしょうじ)を建立、師を住持としたことから、安祥寺僧都(そうず)とも称せられる。東大寺で出家して法相(ほっそう)宗を学び、東寺(教王護国寺)で実慧(じちえ)から真言を学び灌頂(かんじょう)を受けた。838年(承和5。一説に承和9年)入唐し、長安(西安)の青龍寺(せいりゅうじ)義真(ぎしん)から密教の奥義(おうぎ)を受け、847年に帰朝。密教の経軌(きょうき)など200余巻を請来(しょうらい)し上進した。864年(貞観6)少僧都(しょうそうず)に任じ、年分度者(年に許可される一定の得度者)受戒制度の廃止を防止した。869年(貞観11)東大寺別当に補任(ぶにん)。同年(一説に貞観13年)9月23日寂した。
[平井宥慶 2017年5月19日]
(正木晃)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…円仁(838‐847年在唐)は長安,五台山,揚州の各地で求得した聖教類802巻,曼荼羅,図像,高僧像などを列記した総目録と,2種の揚州の目録を作成している。恵運(842‐847年在唐)は温州,五台山,長安に赴き220巻の経典(そのうち76巻は新請来)をもたらしている。円珍(853‐858年在唐)には長安,天台山で求得した772巻の経典,梵夾,法具などの〈国清寺求法目録〉,福州から台州の間に求得した経典,外書を記載した〈福州温州台州求得目録〉,福州開元寺で求得した156巻の経典,梵夾の目録,青竜寺で求得した経典115巻,曼荼羅,法具の目録で師法全の証明の加えられている〈青竜寺求法目録〉の4種のほか,これらを網羅して計1000巻,法具16種を記載した総目録の5通があり,いずれも原本が園城寺に伝えられる。…
※「恵運」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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