平安初期の天台宗の僧。俗姓は丸子連(まるこむらじ)。相模(さがみ)国(神奈川県)の人。初め興福寺に入って法相(ほっそう)宗を学び、のち最澄(さいちょう)に師事し、通訳としてともに入唐(にっとう)した。帰国後、つねに最澄を助け、823年(弘仁14)4月、伝戒師(でんかいし)となり、根本中堂(こんぽんちゅうどう)で円頓(えんどん)授戒を行い、824年(天長1)には延暦寺(えんりゃくじ)の伝法師(でんぽうし)となった。師の没後は一山を統率し、大乗戒壇の建立を果たした。著書『天台法華宗義集(ほっけしゅうぎしゅう)』1巻は、空海の『十住心論(じゅうじゅうしんろん)』、護命(ごみょう)の『法相研神集(けんしんしゅう)』などとともに、天長(てんちょう)(824~834)の勅撰(ちょくせん)の一に数えられる。
[池田魯參 2017年6月20日]
(鷺森浩幸)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
…この翌年,当寺は勅によって延暦寺と号した。824年(天長1)に義真が初代天台座主(ざす)に任ぜられ,三綱が置かれ,また同年講堂,翌年戒壇院が建立され,堂舎が整った。その後,円仁,円珍が現れて寺運は発展の一途をたどり,開創から1世紀を経ずして,早くも9世紀中ごろに延暦寺は仏教界最大の勢力となった。…
…斬新な講義の評判が天皇の耳にも達し,それが機縁で入唐求法(につとうぐほう)の還学生(げんがくしよう)(短期留学)に選ばれた。最澄は門弟の義真を通訳に連れ,804年7月,空海とおなじく遣唐使の船に乗って九州を出発し,9月明州に到着した。まず天台山に登り,ついで湛然の高弟である道邃(どうすい∥どうずい)と行満(ぎようまん)について正統な天台教学の奥義をさずかった。…
※「義真」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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