改訂新版 世界大百科事典 「悪人正機」の意味・わかりやすい解説
悪人正機 (あくにんしょうき)
浄土真宗の開祖親鸞の教えの特徴をあらわす言葉。悪人こそが阿弥陀仏の救いの主対象であること。ここにいう悪人とは,武士・商人・漁夫など特定の社会階層,あるいは道徳上・法律上の背徳違法者を指すのではない。宗教的立場,すなわち仏の前に自己を直視するとき,あらゆる自己の行為,さらにはその存在自体すらも悪であるとの認識をいうのである。もともと阿弥陀仏の本願は,あらゆる人を救済の対象とし善悪の差別はない。しかし善人は自己の能力でもってさとりを開こうとするから,仏に全面的に頼る心が薄い。だが悪人は自己の力ではさとりえず,仏の救済力に頼る以外に道はないので,この者こそ阿弥陀仏の救いの対象となる。《歎異抄》に〈善人なをもて往生をとぐ,いはんや悪人をや〉と述べられている。親鸞は,悪人も救われるのだから,善人が救われるのはあたりまえ,との一般通念に対し,善人でさえ救われるのだから,悪人が救われないはずはない,との論を展開した。しかし,悪人を救いの主対象とするのだから,悪事をはたらいてもよいとの考えについては,解毒剤があるからといって,毒物を好んで飲む人がいないと同様,悪事を好んではいけないとした。また悪人正機だからといって,好んで悪事をしようとの考え方に対しては,それは阿弥陀仏の救いを全面的に信じていないことで,自己の行為によって仏の救いを左右しようとするものであるときびしくいましめた。和讃に,〈浄土真宗に帰すれども,真実の心はありがたし,虚仮不実のわが身にて,清浄の心もさらになし〉とあり,みずからを清浄心なき不実の悪人であるとしてたえず反省しつつ,この身になげかけられる阿弥陀仏の救いをふかく感謝している。
執筆者:千葉 乗隆
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報