越前敦賀と近江との国境付近から北方
とある。交通の要衝として軍記物にしばしば登場し、「義経記」巻七(愛発山の事)に、
とみえ、続けて女神がこの山中で出産した時「産のあら血をこぼさせ給ひけるによりて、あら血の山とは申し候へ」という地名由来を記す。「源平盛衰記」巻二八(源氏追討使事)の平家軍勢下向の様子を述べたなかにも「海津を打過ぎて、荒乳の中山に懸つて」とある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
福井・滋賀県境付近にあったとされる山。有乳山、荒血山、荒乳山とも書く。山中を七里半越(西近江(にしおうみ)路)が通っていた。畿内(きない)から湖北の愛発山を越えると、全国屈指の多雪地帯となるので、中央の都人にとっては非常に重苦しく感じられたのであろう。そのため、この山での感慨をおりに触れて詠んだ歌が『万葉集』巻10に「八田(やた)の野の浅茅(あさじ)色付(づ)く愛発山峰(みね)の沫雪(あわゆき)寒く降るらし」と残されている。また『義経(ぎけい)記』『太平記』にもしばしば登場する。福井県敦賀(つるが)市南部の旧愛発村と、滋賀県高島市マキノ町小荒路(こあらじ)との間の山塊と考えられる。
[印牧邦雄]
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