日本大百科全書(ニッポニカ) 「憲法改正問題」の意味・わかりやすい解説
憲法改正問題
けんぽうかいせいもんだい
憲法の改正とは、憲法典そのものを合法的な手続により変更することをいい、憲法典中にある条項を修正したり削除したり追加したり、増補することも含む。憲法改正が合法的な手続のもとでなされる点では、革命やクーデターとも異なる。
[吉田善明]
改憲手続
日本国憲法では第96条1項に、改正の手続について、「各議院の総議員の3分の2以上の賛成で、国会が、これを発議」すると定め、さらに国会が国民に提案して国民投票によりその過半数の承認を受けなければならない、と定める。憲法改正は前述の手続によってなされるにしても、無限界にかつ自由になされるかとなると見解が対立している。多くは、憲法典のなかの基本原則(国民主権主義、永久平和主義、基本的人権の尊重)なるものについては改正できないとしている。
[吉田善明]
1960年代~1980年代の改憲論議
日本国憲法は1947年(昭和22)5月3日に施行されたが、今日まで一度の改正もない。このことは、日本国憲法が国民のものとして定着していると解することができよう。しかし、憲法改正の論議は、日本が1952年に独立国家として承認され、かつ、日米安全保障条約が締結されて以降活発に展開されている。
憲法改正についての積極的な論議は1955年に、保守合同で成立した自由民主党の政治日程に組み入れられたが、改憲に必要な議席の獲得には至らなかった。当時の改憲論には、天皇の元首化、軍隊の復活および孝養の義務などを定めた明治憲法体制への郷愁をみることができた。しかし、改憲が困難となった政府・自民党は憲法調査会(1956)を組織し、改憲問題の検討をゆだねた。その憲法調査会の報告書が1964年に出された。この報告書によると、第一は憲法第9条を廃止して、安保条約に適合した自衛力の存在を承認し、第二は、行政権の拡大強化を中心とする国家機構の再編と、その再編によって福祉国家を標榜(ひょうぼう)することを意図した内容のものであった。この改憲論に対抗して、野党各党は、護憲連合、新護憲連合、憲法会議などを組織し、また世論でも、我妻栄(わがつまさかえ)・宮沢俊義(としよし)などが憲法問題研究会を設置して改憲に反対した。
しかし、政府・自民党による改憲政策は終了したわけではなく、1970年代に入って、自民党憲法調査会が「憲法改正大綱」を発表、さらには自主憲法期成同盟(初代会長岸信介(のぶすけ))も同じような改正案を発表している。1980年代に入って活発化した改憲論も同じ政党、団体が中心であった。これらの団体の改憲論の動きをみると、まずあげられるのは、自民党憲法調査会による改憲案である。すなわち、自民党憲法調査会は1981年10月2日に総括委員長(上村千一郎議員)の名で憲法改正についての総括試案を発表し、これを受けて1982年1月下旬に、憲法の全条項を検討する意味での四つの分科会((1)天皇・内閣、(2)国会・財政・地方自治、(3)国民の権利と義務・司法、(4)防衛・改正条項)を設置し、それらの改正すべき骨子をまとめている。
また、当時は、自民党議員200名余りが中心となって組織された自主憲法期成同盟による改憲論者の活動も活発であった。しかし、そのメンバーの多くは自民党憲法調査会のメンバーでもあり、同調査会が1972年に「憲法改正大綱」を発表したときのメンバーでもあったことから、その改憲内容は自民党憲法調査会のそれと比べると、ほとんど類似した内容のものとなっているが、とくに「国家の歴史、民族の伝統」といった点が強調されていた。この自主憲法期成同盟は、地方議会に対し、「改憲決議」を要請するなどして憲法改正の必要性をリードしていた。
[吉田善明]
1990年代の改憲論議
1992年(平成4)6月、日本はPKO(国連平和維持活動)協力法の制定によって諸外国への自衛隊派遣の道を開いた。そして、同年10月には、国際連合の要請を受けてカンボジアへの自衛隊の派遣を行った。このPKO協力法の制定と相前後して、冷戦後の新しい世界秩序の見直しのなかで日本がいかに国連に協力していくかという視点から、憲法条項の見直しを図っていこうとする意見がマスコミ、各政党から続々と出された。とくに、1990年代後半に入ると、国際社会の変化とともに政党の再編成が進行する。1996年に政府は、アメリカ合衆国との間で「日米安全保障共同宣言」を発表、これを受けて1997年に「日米新ガイドライン(日米防衛協力のための指針)」に合意する。その内容は、日本に駐留するアメリカ軍が「アジア太平洋地域の平和と安定のために不可欠」な自衛隊との協力関係を明らかにするものである。このことは、日本国憲法のもとで堅持してきた不戦の原則を捨て、対米協力という形で自衛隊の海外派兵を正当化する法体制を整備することでもあった。また、この法体制の整備は、国内的には、有事、危機管理体制の諸立法および治安維持を含めた国家構造の改革(行政改革、地方改革、教育・大学改革、情報収集法の整備など)を生み出していった。
このような国際・国内的政治状況の変化が改憲・護憲論議を高めることになる。1990年代の改憲論の特徴をみると、過去にみられた改憲派の主張とはかなり異なった内容のものとなって現れている。その第一は、マスコミがリードし、自民党のほかに新進党(1994年結成)、その解党後に新しいチャレンジャーとなった民主党(1996年結成、2016年民進党に改称)などが積極的に改憲論議に参加してきたことである。第二は、「新しい護憲」という名のもとで、いわゆる創憲論が社会民主党の一部や政治学者のなかから積極的に主張されだしたことである。創憲論とは、安全保障に関して、普遍的な安全保障が将来において確立するまでは、固有の自衛権に基づく最小限の自衛力と日米安保条約を許容していこうとする考え方である。これは、いままでみられた自衛隊の解釈改憲を正当化する見解と類似する。
[吉田善明]
憲法調査会の設置とその報告書
このような政党、マスコミの動きのなかで1999年(平成11)3月に、与野党幹事長・書記長会談がもたれ、共産、社民の2党を除く、自民、民主、公明ほか各党幹事長は、衆議院議長に対して憲法調査会設置の申入れを行った。衆議院議長は、議長のもとに置く憲法調査会の設置を確認し、「国会法の一部を改正する法律案」として、衆・参両院において可決され、1999年8月4日に公布された。翌2000年(平成12)1月、衆・参両院に憲法調査会が設置され、その論議が同年2月から始まる。衆・参両院に置かれた憲法調査会は次のような役割を担う。(1)名称の示すように、「日本国憲法について広範かつ総合的に調査を行うため、各議院に憲法調査会を設ける」(国会法102条の6)という調査方式の設置である。したがって、調査会は憲法改正についての議案提出権をもたない。(2)調査期間は5年程度とする。(3)会長代理を置き、野党や第一党の幹事で選出するなど3点の申合せが行われている。そして、2005年の報告書作成を目ざして調査・検討を開始した。衆・参両院におかれた憲法調査会は、予定通り2005年に「最終報告書」をまとめた。おもな内容は次のようになっている。
(1)平和主義 憲法改正論議の中心は第9条におかれたことは予想された通りである。衆・参両院憲法調査会における論議の内容は、文言や配列に違いがあるが、ほぼ次のように集約される。
第一に、「平和主義」の堅持を強調し、第9条1項は維持すべきであるとする見解が大勢である。第二に、第9条2項については、改正・削除し、自衛権の保持と自衛隊の位置、権限の明示を強調している。自衛権については個別自衛権の行使ほか集団的自衛権の行使を容認している。第三に、積極的国際協力の必要性を強調する。しかし、参加の対象(国連軍、多国籍軍など)、参加の要件(国連決議の要旨)、参加の活動内容(海外での武力の行使)については各党間の意見はもとより、参考人の主張を含めた多様な意見が存在している。そして第四に、非常事態・緊急事態条項の新設などが主張されている。
(2)基本的人権 衆・参両院の憲法調査会とも同じような人権保障をめぐる規定の必要性が論議されている。国民の義務としての国防、環境保全、投票等の規定のほか家族、家庭に関する事項の追加の是非、また新しい権利としては、環境権、知る権利、プライバシー権、犯罪被害者の権利、知的財産権、生命の尊重の是非などである。また、外国人の権利(外国人の地方参政権、外国人労働者の受け入れなど)についても論議がみられた。
(3)天皇、統治機構 1960年代、1970年代の憲法改正論議は、天皇の地位をめぐる天皇元首化論が中心であったが、現在は象徴天皇制については異論がなく、その枠内での女性(女帝)天皇制が論議されている。
統治機構に関しては、両院制を維持する論調が優勢にみえる。わけても、衆議院憲法調査会では、参議院の権限論(縮小論)、役割分担論、両院の選挙制度のあり方が論議され、参議院憲法調査会では、二院制への関心は強く、その存在が全会派の合意となっている。その理由には、安定性を掲げている。首相公選については、憲法調査会の設置当初、かなり注目されていたが制度的選択肢としては除外されている。
憲法裁判所の設置も、憲法調査会の設置当初は論議をよんでいたが、現下にみられる司法制度の改革とも絡んで、実現が不透明な状況におかれている。
そのほか、政党、会計と決算についての論議がなされていた。
[吉田善明]
憲法調査会「最終報告書」提出以降の各政党の動き
衆・参両院の憲法調査会の最終報告書が提出されて以降、衆・参両院はどのような状況に、また各政党、世論はどのような動きをしているのであろうか。
衆・参両院憲法調査会の「最終報告書」を受けて、2005年10月28日、自民党は、新憲法草案を発表した。今後の変更も予想されるとしながら、その特徴は、日本国憲法と比較して次の点が浮き彫りにされている。第一は、憲法の基本理念の変質(個人の尊重から国家・社会重視の思想に、権力を制限する憲法から国民統治型の憲法へ)である。第二は、平和主義の変容である。その内容は、衆・参両院憲法調査会の内容とほとんど変わっていないが、注目すべきなのは、自衛隊を自衛軍と改め、内閣総理大臣を最高指揮権者とすることを明らかにしたことである(第9条2項)。草案には明記されていないが、解釈上、当然集団的自衛権を行使できるとしている。
民主党も、憲法改正については積極的であり、党内に民主党憲法調査会を設置し、2004年6月22日に「創憲に向けて、憲法提言――中間報告」を発表し、2005年10月31日に党としての憲法改正についての意見をまとめた「民主党 憲法提言」を発表している。そのなかでもっとも注目すべき平和主義については、「安全保障」として、第9条1項にいう平和主義の考え方を継承するとしながら、国連憲章上の「制約された自衛権」を明確にし、国連主導の集団安全保障活動への参加を憲法に位置づけ、さらに緊急時指揮権の軍事的組織に関する「民主的統制(シビリアン・コントロール)」を確保するとしている。民主党憲法調査会が主張するようにこの方向は平和主義の転換であることはいうまでもない。そのほか、統治機構では、憲法裁判所の新設、行政監視院の設置、国と地方の権限配分の明確化、新しい人権保障の確立などを提言している。公明党は、第9条については、1項、2項は堅持し、加憲の対象として自衛隊の存在を検討するとしている(2005年8月16日発表の公明党マニフェスト)。
これらの政党の改憲案に対して、共産党、社民党は、憲法改正の反対を貫く立場にたっている。共産党は、「憲法の進歩的条項はもとより、その全条項をもっとも厳格に守る」という立場にたち、とりわけ、日米安全保障条約と自衛隊を解消して第9条の完全実施へ向けての段階的政策を提言している。また、社民党は、「21世紀の平和構想」を提言(2001年5月2日)し、その提言は今日でも維持されている。そのなかで、「平和憲法の実行、世界への普及」を第一の原則としている。また、国連との関係においては、国連のもとでの平和維持活動(PKO)の非軍事面での積極的な役割を掲げている。
世論の動きをみると、2007年5月に行われた朝日新聞社の世論調査によれば、憲法改正肯定派が58%、改正反対派が27%となっている。しかし、憲法第9条の改正についてみると、改正必要が33%、改正必要なしが49%で、改正必要なしとする世論が上回っている。
今後も各政党・世論は、改憲、護憲をめぐり激しい論争を展開することが予想される。
[吉田善明]
その後の動き
2007年5月に憲法改正国民投票法(正式名称は「日本国憲法の改正手続に関する法律の公布」平成19年法律第51号)が成立し、同年8月に衆・参両院に憲法審査会が設置された。憲法審査会は当時の政治情勢が影響して休眠状態が続いたが、憲法改正国民投票法が全面施行(2010年5月)された翌年の2011年5月、参議院本会議において参議院憲法審査会規程を議決、同年10月衆・参両院の本会議において憲法審査会委員が選任され、活動が開始された。
世論の動きをみると、2016年3~4月に行われた朝日新聞社の世論調査によれば、憲法改正肯定派が37%、改正反対派が55%となっている。また、憲法第9条の改正についてみると、改正必要が27%、改正必要なしが68%で、改正必要なしとする世論が上回っている。
[編集部 2017年5月19日]
『吉田善明著『変動期の憲法諸相』(2001・敬文堂)』▽『渡辺治編著『憲法「改正」の争点 資料で読む改憲論の歴史』(2002・旬報社)』