きれいな空気・水、騒音のない静かな環境を享受する権利。広くは自然環境のほかに道路・公園・文化施設などの社会的環境、さらには歴史的文化財などの文化的環境を求める権利として構成する立場もある。公害防止のために既存の法理論が有効に機能しないことを反省し、健全な環境を守るための法的武器たることを意図して提唱された。
こうした考え方は、まず1969年(昭和44)に制定された東京都公害防止条例の前文に現れている。すなわち、「すべて都民は、健康で安全かつ快適な生活を営む権利を有するのであって、この権利は、公害によってみだりに侵されてはならない」というのである。その翌年3月に東京で開催された公害に関する国際シンポジウムは、環境権の確立を要請して次のように宣言した。「とりわけ重要なのは、人たるものだれもが、健康や福祉を侵す要因に災いされない環境を享受する権利と、現在の世代が将来の世代へ残すべき遺産である自然美を含めた自然資源にあずかる権利とを、基本的人権の一種としてもつという原則を、法体系のなかに確立するよう、われわれが要請することである」。
さらに、同年9月新潟で開催された日本弁護士連合会人権擁護大会で、大阪弁護士会の2人の弁護士が環境権という新しい権利を初めて提唱し、広く注目を浴びた。その主張によると、環境権は、国や地方公共団体に対してよい環境を確保することを求めることができる生存権的基本権であるとともに、強大な企業から社会的弱者である公害の被害者を守るための権利である点で社会的基本権である。その根拠は日本国憲法第13条(幸福追求権)および第25条(生存権)である。また同時に、環境権は、環境という対象を直接に支配し、その侵害があれば、これを排除できる私権である。この主張は、環境権を単なる宣言的・プログラム的な権利ではなく、裁判の場で実際に機能する権利として構成するところに特色がある。
環境権理論は公害に悩む住民団体に広く受け入れられ、伊達(だて)(北海道)環境権訴訟、豊前(ぶぜん)(福岡県)環境権訴訟、大阪空港公害差止訴訟、長浜町(愛媛県大洲市)入浜(いりはま)権訴訟、長良(ながら)川(岐阜県)河口堰(せき)差止訴訟などの根拠として主張された。
しかし、人間活動はつねに環境になんらかの影響を与えるものであるから、こうした絶対的な差止めを認めようとする理論によれば、原則として人間活動は禁止されることになりかねない。人間社会ではつねに利害の適正な衡量が必要なのであって、この理論は硬直的にすぎたとみられる。結局、これは、裁判所の採用するところとはなっていない。判例では、「環境権なる権利は、実定法上その規定がなく、権利の主体、客体及び内容が不明確であるから、私法上の権利として認めることはできない」とするものが多い。
しかし、環境権の主張はむだだったわけではない。従来の理論も環境の価値を重視する方向へとかなり方向転換し、裁判例でも環境権的発想を取り入れたものは少なくない。なお、入浜権は環境権の一分枝ないし発展形態であるが、裁判上承認されるには至っていない。1993年(平成5)に制定された環境基本法3条は、「現在及び将来の世代の人間が健全で恵み豊かな環境の恵沢(けいたく)を享受するとともに人類の存続の基盤である環境が将来にわたって維持されるように」適切に環境保全がなされなければならないと規定するものの、環境権を認めるには至っていない。地方公共団体の条例(環境基本条例)では環境権を認めているものが多いが、その法的性質は単なる宣言的なもので、民事訴訟の差止めの根拠となるようなものではない。
[阿部泰隆]
『大阪弁護士会環境権研究会編『環境権』(1973・日本評論社)』▽『淡路剛久著『環境権の法理と裁判』(1980・有斐閣)』▽『阿部泰隆、淡路剛久編『環境法・第2版』(1998・有斐閣)』
環境権は,〈市民がよい環境を享受する権利a human right to a decent and healthyenvironment〉であるとして主張されてきている。各地で公害問題が深刻化しつつあった1970年前後に登場した概念である。アメリカでは,そのころから環境権の概念が著書や論文の中に登場しはじめ,そのコモン・ロー上ならびに憲法上の根拠について論議がなされるようになった。
その後72年にストックホルムで開催された国連人間環境会議は〈人間環境宣言〉を採択したが,その中の〈原則〉第1項では,〈人は,尊厳と福祉を保つに足る環境で,自由,平等および十分な生活水準を享受する基本的権利を有するとともに,現在および将来の世代のため環境を保護し改善する厳粛な責任を負う〉とし,環境に関する権利と責任とをうたった。日本では,1969年制定の東京都公害防止条例の前文において〈すべて都民は,健康で安全かつ快適な生活を営む権利を有するのであって,この権利は,公害によってみだりに侵されてはならない〉と宣言されたのが,環境権理念の明文化の始まりとされる。しかし,環境権が全国的に知られるようになったのは,70年に東京で開かれた〈公害に関する国際シンポジウム〉で,アメリカのJ.L.サックスが環境権の確立を提唱したことに負うところきわめて大である。そのシンポジウムの成果である〈東京決議〉は,第5項で〈とりわけ重要なのは,人たるもの誰もが,健康や福祉を侵す要因にわざわいされない環境を享受する権利と,現在の世代が将来の世代へ残すべき遺産である自然美を含めた自然資源にあずかる権利とを,基本的人権の一種として持つという原則を,法体系の中に確立するよう,われわれが要請することである〉と宣言した。この決議の影響を受けて,同年9月日本弁護士連合会の第13回人権擁護大会公害シンポジウムにおいて,大阪の弁護士たちが環境権を主張したのである。その後,実際の訴訟において,環境権は,その確立によって(1)住民に直接,具体的な被害が発生する前に環境被害に対処することができる,(2)個々の住民が広範な地域的被害を直接,自己に対する権利侵害として主張することができる,(3)被侵害利益または法律上の利益を明確にすることができる,として主として住民側(差止請求等の原告)によって主張されている。
環境権の理念については一般的に理解されるようになったが,それが具体的な法的請求権としても認められるか,たとえば,特定の人に具体的な被害が出ていない段階でも,環境が破壊されているということだけでどの市民も差止請求(差止請求権)ができるか,等については争いがある。日本の裁判所は概して環境権に対しては否定的である。いままでに多くの判決が,〈憲法25条などを根拠にして環境権を直接構成するのは無理であり,実定法上の根拠もない。内容も漠然としており,恩恵を受ける者の範囲も限定しがたく,法的な権利とは認めがたい〉というような理由で,環境権の主張を否定した。
各地の公害反対・環境保全運動において主張された環境権論は,理論上,実際上いくつかの問題を提起した。なかでも,環境上の利益を見直す契機を与えた意義は少なくない。ただ,これまで裁判で主張された環境権は,いっさいの利益衡量を排斥する絶対権として構成されたために柔軟性に欠け,非実際的なものであった。今後,環境権の理念を,多くの公害判例で違法性判断の理論として採用されている受忍限度論の中にいかに吸収し,統合的に発展させていくかが,法学上の課題であろう。
なお,公共の財産である海岸で自由に魚釣り,遊泳,散歩等を楽しむことのできる権利として〈入浜権〉が主張されるようになったが,これについても環境権と同様議論がある。
→公害
執筆者:野村 好弘
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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…眺望,景観を享受することができる権利。今日,権利としての確立が強く主張されている環境権の一種である。環境保護を目ざす運動の一環として,眺望阻害,景観破壊を阻止するために,その権利性が提唱されるに至った。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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