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明治期の文芸雑誌。1885年(明治18)5月創刊,89年10月廃刊。全43冊。尾崎紅葉を中心とする硯友社(けんゆうしや)の同人誌として,筆写回覧雑誌のかたちで出発し,やがて印刷され,公売された。89年3月に《文庫》と改題した。小説系の同人誌としては,日本最初のもので,紅葉,山田美妙(びみよう),巌谷小波(さざなみ),川上眉山,広津柳浪ら明治中期の主要作家の初期の文章を収めている。題意は,政治的な文章を除いた趣味としての多様な文章の寄せ集めであり,小説,戯文,漢詩,川柳,狂歌から落語までも載せる同好的,娯楽的な雑誌であったが,合評や古典翻刻も掲載するなど,しだいに文芸意識を高め,近代文学の出発の一つの場を築いた。
執筆者:土佐 亨
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文芸同人雑誌。1885年(明治18)5月創刊、89年10月廃刊。尾崎紅葉(こうよう)、山田美妙(びみょう)、石橋思案(しあん)、巌谷小波(いわやさざなみ)、川上眉山(びざん)、江見水蔭(すいいん)、広津柳浪(りゅうろう)ら、硯友社(けんゆうしゃ)の機関誌。初め紅葉、美妙による筆写回覧雑誌で、内容も戯文、狂歌、都々逸(どどいつ)などをも含む遊戯的な色調が濃厚であったが、文学改良の時代風潮に応じ、近代的な写実文学の創造に向かった。同人が増加して86年11月活版の非売本形式に変わり、さらに88年5月から公売となり返り初号を出した。翌年3月の同第17号から『文庫』と改題、吉岡書籍店より発売されたが、第27号で廃刊。美妙の脱退(1888)後は紅葉が中心で、硯友社員を相次いで文壇に登場させたほか、幸田露伴(ろはん)や淡島寒月(あわしまかんげつ)の短編なども掲載した。本誌では美妙の言文一致体、紅葉の雅俗折衷(がぞくせっちゅう)体など、小説文体の模索がとくに注目される。
[岡 保生]
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硯友社(けんゆうしゃ)発行の文芸同人誌。筆写回覧本時代,活版非売本時代,活版公刊本時代にわけられる。1885年(明治18)5月,尾崎紅葉・山田美妙(びみょう)・石橋思案・丸岡九華(きゅうか)が硯友社をおこし,筆写回覧したのが始まり。86年11月9号から活版非売本となり,16号まで出された。88年5月活字公刊本1号が発行され,翌年3月17号から「文庫」と改題,同年10月27号をもって終刊。同人にはほかに巌谷小波(いわやさざなみ)・川上眉山(びざん)・江見水蔭(すいいん)・広津柳浪(りゅうろう)らがあり,「文庫」には淡路寒月・幸田露伴も寄稿。筆写回覧本時代には戯作・戯文が多い。公刊本1号に「硯友社々則」をかかげるなど,日本文学発展の先導者としての意識がうかがえる。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
…1885年(明治18)2月,東京大学予備門在学中の尾崎紅葉,山田美妙(びみよう),石橋思案(1867‐1927)らが高等商業生徒の丸岡九華(きゆうか)らをかたらい創立した。同年5月から機関誌《我楽多(がらくた)文庫》を創刊,小説,漢詩,戯文,狂歌,川柳,都々逸(どどいつ)など,さまざまな作品を載せた。はじめ紅葉,美妙が筆写した回覧雑誌だったが,のち印刷し,さらに公売へと,部数も増加した。…
… 日本の評論雑誌の祖というべき《明六雑誌》(1874創刊)は,明治初年の啓蒙主義的な学者・思想家たちの講演記録集だったから,同人雑誌の源をそこにみることもできる。小説発表の場としての同人雑誌は,尾崎紅葉,山田美妙らの《我楽多(がらくた)文庫》(1885創刊,当初は筆写回覧本)が最初である。文芸,社会思想がたがいに競い合った明治末年ごろから青年グループによる雑誌の刊行がさかんとなり,昭和初年には〈同人雑誌の全盛期〉(高見順)となった。…
※「我楽多文庫」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
各省の長である大臣,および内閣官房長官,特命大臣を助け,特定の政策や企画に参画し,政務を処理する国家公務員法上の特別職。政務官ともいう。2001年1月の中央省庁再編により政務次官が廃止されたのに伴い,...
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