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石橋思案 いしばし しあん

美術人名辞典の解説

石橋思案

小説家。本名助三郎、別号に雨香。横浜生。明治18年尾崎紅葉等と〈硯友社〉を結成、「乙女心」「羽抜鳥」等の小説で知られたが、作風は戯作者の型を脱していない。名古屋の中京新聞社を経て博文館に入り『文芸倶楽部』を主宰した。昭和2年(1927)歿、60才。

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百科事典マイペディアの解説

石橋思案【いしばししあん】

明治期の小説家。本名助三郎。別号,雨香,自劣亭。横浜生れ。東大中退。尾崎紅葉らと硯友(けんゆう)社を興し,《我楽多(がらくた)文庫》を創刊。人情本風の作品《仇桜遊里夜嵐》《乙女心》《京鹿子》《わが恋》などを書いたが小説家としては大成せず,博文館に入社,《文芸倶楽部》を編集した。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

石橋思案 いしばし-しあん

1867-1927 明治時代の小説家。
慶応3年6月2日生まれ。石橋政方(まさかた)の長男。明治18年東京大学予備門在学中に尾崎紅葉らと硯友(けんゆう)社をおこし,文芸誌「我楽多(がらくた)文庫」を発刊。第1作「仇桜遊里廼夜嵐(あだざくらさとのよあらし)」や「乙女心」「京鹿子」でみとめられる。のち博文館で「文芸倶楽部(クラブ)」を編集。昭和2年1月28日死去。61歳。相模(さがみ)(神奈川県)出身。本名は助三郎。別号に雨香,自劣亭。

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朝日日本歴史人物事典の解説

石橋思案

没年:昭和2.1.28(1927)
生年:慶応3.6.2(1867.7.3)
明治時代の小説家。本名助三郎。別号を雨香逸史,自劣亭,一二三子。横浜生まれ。明治天皇の侍従となった英学者政方の長男。祖父は長崎の通詞石橋助左衛門。学習院,進文学舎を経て東大法学部,のち文学部に進み中退。明治18(1885)年尾崎紅葉らと硯友社をおこし,『我楽多文庫』に処女作「仇桜遊里廼夜嵐」を発表。同22年の「乙女心」「京鹿子」などで知られるが,戯作臭の濃い作風であった。明治26年いさみ新聞社に勤め,30年『中京新聞』,32年『団々珍聞』,34年『中央新聞』から転じて読売新聞社で社会部長となったのち,博文館に入社,大正5(1916)年の退社まで『文芸倶楽部』を編集。墓所は谷中天王寺。<参考文献>『硯友社文学集』(明治文学全集22巻)

(佐伯順子)

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大辞林 第三版の解説

いしばししあん【石橋思案】

1867~1927) 小説家。横浜市生まれ。本名、助三郎。東大中退。尾崎紅葉・山田美妙らと硯友社を興す。今様春水と評され、「仇桜遊里廼夜嵐」「乙女心」「京鹿子」など人情本的な恋愛小説を書いた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

石橋思案
いしばししあん
(1867―1927)

小説家。横浜市生まれ。本名助三郎。帝国大学法科中退。尾崎紅葉、山田美妙らと硯友社(けんゆうしゃ)を結成し、創刊の『我楽多(がらくた)文庫』に『仇桜遊里廼夜嵐(あだざくらさとのよあらし)』を発表。吉岡書店刊の叢書(そうしょ)「新著百種」の一冊『乙女心』で認められ、『京鹿子(きょうがのこ)』『わが恋』などを発表したが、旧文学的戯作(げさく)性から抜けきれず、創作から遠ざかる。その後、『中京新聞』『読売新聞』などの記者を経て、博文館に入り、1916年(大正5)まで『文芸倶楽部(くらぶ)』の編集に従事する。[小野寺凡]
『『明治文学全集 22 硯友社文学集』(1969・筑摩書房)』

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世界大百科事典内の石橋思案の言及

【硯友社】より

…明治中期の文学結社。1885年(明治18)2月,東京大学予備門在学中の尾崎紅葉,山田美妙(びみよう),石橋思案(1867‐1927)らが高等商業生徒の丸岡九華(きゆうか)らをかたらい創立した。同年5月から機関誌《我楽多(がらくた)文庫》を創刊,小説,漢詩,戯文,狂歌,川柳,都々逸(どどいつ)など,さまざまな作品を載せた。…

※「石橋思案」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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