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抗糧 こうりょうkang-liang; k`ang-liang

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

抗糧
こうりょう
kang-liang; k`ang-liang

中国,清朝中期以降に多発した土地所有者の徴税反対闘争。清朝の徴税は「地丁併徴」を実施してからほぼ定額化していたが,乾隆帝末期以後の支出の増大は徴税の増額となり,特にアヘン戦争 (1840~42) の前にかけて著しかった。中小地主は,一方では抗租 (小作人の地主に対する小作料不払い闘争) に苦しめられていたので,苦境に陥り,所有地を手放すにいたった。干・冷害,蝗害などのときに免税を要求するという抗糧の傾向は早くからあったが,アヘン戦争以後はこのような状況のもとで,本来は郷村の指導者層であり,国家権力の末端に位置する郷紳を中心として税糧納入拒否闘争を展開した。彼らは浙江,湖北,湖南,江蘇などで村落全体,あるいは村落が連合し,ときには抗租とも結合して官庁を襲撃し,土地台帳焼捨てるなどの挙に出たが,このような風潮は「太平天国」運動のなかに発展する。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

抗糧
こうりょう

中国、清(しん)代において、国家が土地所有者に賦課する租税の減免を要求して行われた、地方の行政当局に対する抵抗運動。農村に居住する中小地主や自分の土地を所有する農民がその担い手となった。租税の中心をなす土地税賦課に対する抵抗は、徭役(ようえき)賦課に対する抵抗とともに古くから各時代を通じて存在するが、18世紀前半の地丁銀(ちていぎん)制の採用によって、徭役が土地税のなかに吸収されて以来、地丁銭糧(ちていせんりょう)または銭糧の名でよばれる土地税の賦課に対する抵抗としての抗糧は、土地税をなおも主要な柱とする国家の徴税秩序を正面から脅かす性格を帯びるようになった。
 災害時における土地税の減免要求や、地方行政当局の不当な徴収に対する組織的な抵抗は18世紀、清代中期にもみられたが、18世紀末から、膨大な軍事費の支出による財政難を切り抜けるため、地方の行政当局による徴税が過酷なものとなった。他方、銀価の高騰により納税における実質負担が増大すると、生活を守ろうとする農村の土地所有者の土地税への抵抗はかつてなく強まった。19世紀前半における抗糧の回数は飛躍的に増大し、抗議文の掲示、集団的納税拒否から武装蜂起(ほうき)に至るまで、さまざまな形態で地方官憲に対する闘争が、華北から華中・華南に至る全国各地で展開された。この際、行政村や自然村などの村落を単位とする集団、あるいはこれらの村落の連合体など、地域ぐるみの強固な闘争組織が形成された。道光(1821~51)末年から咸豊(かんぽう)(1851~62)初年にかけて広西省・雲南省で出現した「米飯主(べいはんしゅ)」をいただく集団は、抗糧を担った地域的組織の典型的なものである。抗糧に際しては、自ら中小規模の土地所有者である在村の下層の読書人がその指導にあたり、零細な土地所有者としての自作農・自小作農などのエネルギーを結集する場合が少なくなかった。
 19世紀中葉には、土地税への抵抗としての抗糧と、小作料への抵抗としての抗租が、農村の二大潮流として「抗租抗糧」と連称されたが、抗租と抗糧を自覚的に結合して運動が展開される場合もみられた。当時、土地税収入を確保しようとする国家が、都市居住の大地主にかわって自ら小作料の徴収に介入し、容赦のない取り立てを強行したことにより、国家と佃戸(でんこ)との矛盾が強まり、国家の土地税および小作料徴収に抵抗する中小地主・自作農・自小作農・佃戸(小作農)の共同戦線が農村において結成された。[森 正夫]
『横山英著『中国近代化の経済構造』(1972・亜紀書房)』

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