摠見寺(読み)ソウケンジ

デジタル大辞泉 「摠見寺」の意味・読み・例文・類語

そうけん‐じ【摠見寺】

滋賀県近江八幡市にある臨済宗妙心寺派の寺。山号は遠景山(安土山とも)。天正年間(1573~1592)正仲剛可を開山として織田信長安土城内に建立

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「摠見寺」の意味・読み・例文・類語

そうけん‐じ【摠見寺】

  1. 滋賀県蒲生郡安土町にある臨済宗妙心寺派の寺。山号は遠景山(安土山とも)。天正年間(一五七三‐九二)織田信長創建。開山は正仲剛可。三重塔楼門室町時代建築(国重要文化財)。寺域は安土城址にあたる。

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

日本大百科全書(ニッポニカ) 「摠見寺」の意味・わかりやすい解説

摠見寺
そうけんじ

滋賀県近江八幡(おうみはちまん)市安土町下豊浦(あづちちょうしもといら)にある臨済(りんざい)宗妙心寺派の寺。遠景山(えんけいざん)(または安土山)と号する。本尊は十一面観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)。天正(てんしょう)年間(1573~92)織田信長を開基、その三男(あるいは従弟)の正仲剛下(しょうちゅうごうげ)を開山として、安土城の南に創建された。以後、織田家の菩提(ぼだい)寺として栄えたが、1854年(安政1)に本堂などを焼失、その後、大手門近くの徳川家康邸跡に仮本堂が建てられた。本尊の木造十一面観世音像は安阿弥(あんあみ)(快慶)の作と伝えられる。仮本堂には信長・信忠(のぶただ)父子の像を安置する。焼失を免れた三重塔は享徳(きょうとく)3年(1454)建立、仁王門(楼門)は元亀(げんき)2年(1571)建立の銘があり、信長が甲賀郡石部(現湖南市)から移築したものと伝え、寺宝の金剛二力士立像、信長使用の鉄鐔(つば)とともに国の重要文化財に指定されている。

菅沼 晃]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「摠見寺」の意味・わかりやすい解説

摠見寺 (そうけんじ)

滋賀県近江八幡市の旧安土町にある臨済宗妙心寺派の寺。山号は遠景山。織田信長が安土城築城に伴い創建した。開山は正仲剛可。織田家の菩提寺として,代々織田家ゆかりの者が住持となる。1571年(元亀2)仁王門(重要文化財)が建てられ,ついで天正年間(1573-92),甲賀郡より1454年(享徳3)建造の三重塔(重要文化財)が移築された。本堂に信長,信忠の像がまつられ,また近くの安土城址のかたわらに信長の墓がある。安土山の中腹にあり,琵琶湖が望見できる。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

山川 日本史小辞典 改訂新版 「摠見寺」の解説

摠見寺
そうけんじ

滋賀県近江八幡市安土町にある臨済宗妙心寺派の寺。遠景山と号す。開山は織田信長の叔父織田信安の三男正仲剛可(しょうちゅうごうか)。天正年中(1573~92)に信長が安土山中に開創。フロイス「日本史」によれば,「あたかも神的生命を有し,不滅の主であるかのように万人から礼拝されることを」希望して建立したという。三重塔・楼門・木造金剛二力士像などの重文がある。

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

事典・日本の観光資源 「摠見寺」の解説

摠見寺

(滋賀県蒲生郡安土町)
湖国百選 社/寺編」指定の観光名所。

出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android