改訂新版 世界大百科事典 「攻撃性」の意味・わかりやすい解説
攻撃性 (こうげきせい)
aggressiveness
aggression
動物に攻撃的な行動をとらせるような内的状態。攻撃性の起源,その本質については諸説があるが,ここではまず動物行動学の立場から論じる。
動物における攻撃性
ふつう動物が攻撃的な行動をとる局面は大きく二つに分けることができる。一つは他個体が接近してくるときで,これに対しては威嚇的な攻撃性がみられる。もう一つは他個体によってみずからの生命がおびやかされるような状況に陥ったときで,このときには防衛的な攻撃性がみられる。C.ダーウィンは《ヒトおよび動物の表情》(1872)の中で,イヌの威嚇の姿勢について次のように述べている。〈激しい敵意をもって見知らぬ相手に近づくとき,体をまっすぐにしてきわめてぎこちなく歩き,頭部はやや上げ,尾を立て,首や背の毛は立ち,耳を張る,これは明らかに攻撃の意図を示すものであり,さらに耳をねかせ,うなり,歯をむき出すとまさに攻撃する時である〉。この記述の前半は威嚇的な攻撃性の,後半は防衛的な攻撃性のようすをよく示している。
2頭の動物が一定の限界を越えて近づくと,互いの存在が刺激となって攻撃性が解発され,威嚇しあう。その距離があまり近すぎず,安全に逃走できる距離(逃走距離)であれば,威嚇的闘争の後,どちらか一方が逃げだすが,ふつうなわばり所有者でない方,あるいはなわばりからより遠く離れている方が逃げだすことになる。しかし,不意に出会ったり,相手が自分の逃走可能な距離以上に接近して攻撃距離内に入った場合には,防衛的な攻撃性が解発される。山道などで突然クマに襲われるとか,知らずに踏み込んでマムシにかまれるなどはこのことに関係がある。なお,捕食者が被食者である動物を摂食のために襲うのは,動機づけが異なるので攻撃性とは呼ばないが,巣や子どもを防衛するために被食側の動物が防衛的な攻撃に転ずるのは攻撃性による。
威嚇的な攻撃の機能は相手を餌,子,巣を含めた自分のなわばりから追い払うことにあり,実際に相手を傷つける必要はないので,しばしば儀式化する。儀式的闘争には一定のルールがあり,それによって優劣がはっきりすると,劣位になった個体は服従の動作をとって,相手の攻撃性を抑制し,逃げ去り,双方が傷ついたり死に至ることはほとんどない。ニホンザルの場合のように,劣位個体が優位個体の攻撃を避けるために,あらかじめなだめの身振りや姿勢をとるような例もある。これに対して防衛的な攻撃は相手に深刻な傷を与えたり,ときには死に至らしめることがある。
N.ティンバーゲンらはトゲウオの繁殖期の行動の研究を通して儀式的な闘争と生理的な背景の関係を明らかにしている。春暖かになり繁殖期が近づくと,雄性ホルモンの活性が高まり,生殖の欲求にかられた雄が浅瀬に集まり,巣づくりをしたりなわばりをもつようになる。このとき,配偶の相手となる雌(卵で腹部がふくれている)以外になわばりに侵入するものには激しくつきかかって排除する。このとき雄は婚姻色で腹部が赤くなっており,これがリリーサー(解発因)となって攻撃性が解発される。
攻撃性の抑制
同種の子ども,とくに捕食性の哺乳類の幼獣は,いわゆるじゃれ合いの遊びを通じて攻撃のルールを習得していくと考えられている。このルールの中で同種内での力関係を確認するための敵を傷つけないような攻撃と,捕食の相手を襲う攻撃の違いを学ぶと考えられる。また闘鶏や闘犬などのように訓練によってある程度,攻撃性の閾値(いきち)を下げることもできる。しかしその反面トゲウオの例でみたように,攻撃性は単純な刺激によって解発される生得的な行動パターンの一つとみることもでき,もし攻撃性の発現を抑えられると,別の代償対象に攻撃性を向ける動物の例も数多く知られている。ここからK.ローレンツは,人間の場合にも攻撃性を完全に抑制することは不可能で,適当な形での攻撃性の発散が必要だと主張する。
執筆者:奥井 一満
人間の攻撃性
攻撃性という用語は,人間の場合,一般に怒り,憎しみ,不満などに基づき,自己,他者,あるいはその他の対象に損傷,恐怖などをひき起こす行動,ないしはそのような傾向と考えられ,ときにはその攻撃行動を生む本能,あるいはその本能のもつエネルギーなどの意で用いられることもある。いずれにせよ人間の攻撃性の発揮の基礎に生物学的基盤があることは確実である。例えば,イヌ,ネコなどの動物の視床下部のある個所に電気刺激を加えると,怒りを向けるべき対象が存在しなくとも怒りの行動を表す。したがって人間も生来攻撃性と称せられるある力を備えているとみるべきで,フラストレーション(欲求不満)によってはじめて攻撃性が醸成されるとみなす説は正しいとはいえない。攻撃ないし攻撃性と訳される英語アグレッションの原義が〈……に向かって進む〉という意味の通り,積極性,自己主張といった意味でのアグレッションが存在することは人間の発達上不可欠だが,それが養育者によって反復阻止される状況下において,アグレッションは,憎しみ,怒り,破壊性といった,より負の性質を強く帯びることになる。フラストレーションはこのような負の意味の攻撃性を強化するといえる。それゆえ,現象しているさまざまな攻撃性を本能(攻撃本能)にすべて還元してしまうことも攻撃性後天説と同じくまた正しいとはいえない。精神分析においては,攻撃性はしばしば性もしくはリビドーの対概念として使用される。精神分析家は攻撃性の積極面を評価せず,攻撃性を憎悪,破壊,サディズムと等価しやすい傾向があった。これは臨床経験にも裏づけられていたであろうが,S.フロイトが攻撃性を〈死の本能〉の派生物とみなした見解にも影響されていると考えられる。精神分析的精神療法過程の中では,患者がその抑圧された攻撃性を十分に言語化できるようになることが,治療の大きな前提条件となることが少なくない。
執筆者:下坂 幸三
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報