日本大百科全書(ニッポニカ) 「争う」の意味・わかりやすい解説
争う
あらそう
人間も含めた動物の「争う」について行動生物学的な立場からみると、攻撃行動や闘争行動は、個体の行動(人間の心の葛藤(かっとう)も含めて)としてではなく、社会的行動としてとらえることができる。その生物界の「争う」について大別してみると、〔1〕異なる種の間にみられる捕食者と被捕食者の関係において生じるような場合と、〔2〕同種内でおこるような場合とに分けられる。まず、人間も含めて、同種内での「争う」について注目してみよう。
[青木 清]
人間と動物との争うことの違い
人間の「争う」について、その原因から分類してみると、(1)個人的な不安、(2)家庭内の葛藤、(3)社会上の紛争、(4)国家間の緊張などをあげることができる。これらの争いは、人間が社会を形成し、その社会で連帯性や集団欲を満たす以外に、道がないことに起因している。これは、人間が動物と異なる最高に進化した大脳新皮質をもつことによって、社会や文化を形成したことによる。したがって、社会や文化をもたない動物の「争う」ということと同一視することはできない。この点についてはローレンツK. Lorenzをはじめとして、攻撃性の研究をしている学者が指摘している。一例として、人間と動物との争いの違いをみてみると、動物の集団構造や順位制は、弱いものを守るという原則と結び付いて、争いは儀式的なものが多い。しかし人間の場合には、人間集団として特権を得るための上位を目ざす争いが繰り返しおこる点で、動物の順位制とは区別される。
動物が争うということは、個体維持と種属維持を守り、かつ動物社会における秩序形成を保つためである。動物はこのことを生得的に行うのであって、争うこと自体の目的を知ることなく、生存目的にかなってやっているのである。このように動物の「争う」は、本能行動であって、その発現は古皮質と旧皮質からなる大脳辺縁系の働きによるとみられる。
[青木 清]
同種間の争い
同種間の動物の争いの形態を分類してみると、(1)ライバル争い、(2)縄張り争い、(3)順位争いなどがあげられる。
(1)ライバル争い 雌を得るために争う雄どうしの行動で、求愛行動と密接な関係がある。
(2)縄張り争い 空間のなかで一定の空間を確保するための行動で、生活の場の確保を意味する(脊椎(せきつい)動物の大部分、また陸生の無脊椎動物にみられる)。
(3)順位の争い 群れを形成する動物が、群れ内の仲間の順位を決めるための行動である。動物によっては、雄だけが順位を争い、雌は雄の順位に依存している。この順位制は、強いものの優先が守られることとともに、弱いものも守られる。
[青木 清]
異種間での争い
次に、生物が生きるための手段としてみられる異種間についてみると、それは、食物連鎖における捕食者と被捕食者との間にみられる行動である。捕食者は捕食を基本とし、被捕食者は防衛を基本とした攻撃の形を示す争いであり、これは人間以外の動物にみられるものである。
[青木 清]
学習による攻撃行動
哺乳(ほにゅう)類では学習によって攻撃行動が得られる。生後の成育環境によって条件づけられることで攻撃性の強い動物がつくられる。闘犬はこのようにしてつくられた動物である。発達した脳をもった動物では、本能行動だけでなく学習も加わった攻撃行動を示す。学習による攻撃行動を示す最たるものは人間である。人間には他の動物にはみられない社会と言語がある。人間社会の争いについてみたとき、その大多数は競争社会と言語による互いの人間理解の不足に起因している。このことは、動物における争いとは異なり、学習によってもたらされた、より高次な大脳新皮質の働きの結果としての争いである。
最後に、人間だけにみられる「争う」の例として、社会的規則を守らせる道徳的な争いをあげることができる。それは、宗教にみられるような相互の排他主義に基づく行動で、決して動物にはみられない行動である。
[青木 清]
『時実利彦著『脳の話』(岩波新書)』▽『千葉康則著『動物行動から人間行動へ』(1974・培風館)』▽『アイブル・アイベスフェルト著、日高敏隆・久保利彦訳『愛と憎しみ』(1974・みすず書房)』